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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 15日

法華取要抄文段 二二  本門の本尊・妙法蓮華経の良薬を地涌の菩薩に付属して、末法今時の極大重病を治するなり

  
  八月七日

 

一 是の()良薬(ろうやく)を今(とど)めて(ここ)()

  (まさ)に知るべし、「良薬」の義、甚だ多し。先ず其の相を示し、次に今の所引の(こころ)を明かさん。  

  一に天台大師は総じて一代を以て「良薬」と名づくるなり。(もん)の九・六十四に云く「経教を留めて()く。故に『()好良薬(こうろうやく)今留在(こんるざい)()』と云う」等云云。「経教」と言うは即ち是れ一代の聖教なり。今例文を引き、以て其の意を示さん。玄の一に云く「大法東漸(とうぜん)」云云。(せん)の一に云く「通じて仏教を指して以て大法と為す」云云。輔記(ふき)に云わく「通じて一代を指して(とも)に妙法と名づく」等云云。書註十七・三に四部律を引いて云く「耆婆(ぎば)、初め(とく)(しゃ)()(こく)(いた)って医を学び、七年を()たり。(のち)に其の師、一籠(いちろう)及び草を掘るの具を以て耆婆に告げて云く『一()(じゅん)の中に於て(まさ)に薬に非ざる草を求むべし』と。耆婆(あまね)く求むるに、草木の薬に非ざる者無し。師の云く『汝、今去るべし。医道(すで)に成る。我死して後、(すなわ)有り』と」等云云。

  正像二時の一切衆生は(なお)是れ軽病なり。故に小乗・権大乗等の(せん)(ごん)の薬を以て之を治するなり。而るに「良薬」と云うは、外道(げどう)外典(げてん)に対する故なり。

  故に開目抄に云く「()れば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人(だいにん)の実語なるべし」云云。  

  二に妙楽大師は、別して法華を以て「良薬」と名づくるなり。記の九末四十に云く「薬草の名は通ぜり。(こう)の義は(かぎ)らず。故に頓漸(とんぜん)をして(とも)に名づけて経方と為し、好等に非ざること無からしむ乃至頓漸に(こうむ)ると雖も、(もと)乗に在り」等云云。初めに本疏(ほんしょ)の意を示し、次に「頓漸に被ると雖も」の下は正に法華を良薬(ろうやく)と名づくるの義を顕すなり。文意(もんい)に云く、総じて一代を名づけて良薬と為すとも、仏の本意は法華の実乗に()り。故に「頓漸に被ると雖も、本実乗に在り」と云うなり。()し末法に望むれば正像の衆生は是れ軽病なりと雖も、若し正法に望むれば像法の衆生は(ようや)是れ重病なり。故に法華経の良薬を以て之を治す。

而るに医師(くすし)の習いは、必ず重病を治するを以て本意と為す。故に法華の実乗を以て像法の衆生の病を治するを以て仏の本意と為すなり。「(もと)実乗に在り」の文(まこと)に由あるかな。「(いわん)(めつ)()(のち)をや」の金言は即ち此の意なり。  

三に蓮祖大聖は(ただ)文底を以て「良薬」と名づくるなり。

本尊抄・二十三に「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体(みょうたい)宗用(しゅうゆう)(きょう)の南無妙法蓮華経(これ)なり」文。

当に知るべし「肝要」は(すなわ)是れ文底なり。文底は即ち是れ「肝要」なり。

故に開目抄には「寿量品の文の(そこ)」と云い、今の所引の文には「寿量品の肝要」と云うなり。

(しか)るに啓蒙十九・十一に云く「本迹(ほんじゃく)の法門一致する処を肝要と云うなり」云云。曲会(こくえ)私情、(だい)僻見(びゃっけん)なり。

(すべから)く知るべし、今時末法の衆生は重病の中の大重病、謗法闡提(せんだい)の極大重病なり。仏は別して此の極大重病を治するを以て本意の中の本意と()るなり。故に本門の本尊、妙法蓮華経の良薬を地涌(じゆ)の菩薩に付属して、末法今時の極大重病を治するなり。故に「是好良薬、今留在此」と云うなり。

亦復(まさ)に知るべし、天台大師は通じて経文の如く滅後に約する故に、総じて一代を以て良薬と名づくるなり。妙楽大師は別して像法に約する故に、法華を以て良薬とするなり。我が蓮祖師は(ただ)末法に約する故に、文底を以て「是好良薬」とするなり。並びに是れ経文の意なり。「況滅(きょうめつ)度後(どご)」の文、之を思い合すべし。

此れは是れ一代諸経の中には寿量文底の(じん)()なり。

故に高橋入道抄三十五・四十三に云く「我が滅後(めつご)の一切衆生乃至末法に入りなば乃至(ないし)小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻(いちえん)浮提(ぶだい)の一切衆生にさづくべし」文。

全文、()いて見よ。(さき)の三義を含むなり云云。

「今留在此」の文、亦三義を含む。若し天台の(こころ)()らば、今滅後に留むるなり。若し妙楽の意に拠らば、(いま)像法に留むるなり。若し蓮祖の意に依らば、今末法に留むるなり。

故に御義口伝に云く「今留(こんる)とは末法なり」等云云。

即ち今の所引の意は(ここ)に在るなり。

(ざい)()」とは、三義(とも)に通じて一閻浮提を治すなり。()し別して之を(しょう)せば、天台は通じて一閻浮提を指し、妙楽は別して漢土(かんど)を指す。日本にも通ずべし。蓮祖は別して日本を指すなり。

故に御義口伝に云く「()とは一閻浮提の中には日本国なり」云云。


                   つづく

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by johsei1129 | 2016-03-15 21:26 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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