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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 14日

法華取要抄文段 二一  寿量品を説かずんば、末代の凡夫皆悪道に堕つ。故に知んぬ、寿量品を説きたもうが故に末代の凡夫皆成仏するなり


   十五日

 

一 疑って云く此の法門等

 総じて「広開近顕遠」の下の文に両段あり。初めに是れ略示。今、此の下の文は引証なり。(とい)有り(こたえ)有り。答の中に亦三。初めに()(けん)、次に正しく文証を引き、三に「此の一閻浮提」の下は結成(けつじょう)なり。  

一 予が()先哲に()えず等

 文の相は(ただ)是れ()(けん)の辞なり。其の元意を尋ぬれば諸人の情を()ぐるなり。其の相は下に之を論ずるが如し。  

一 卞和(べんか)渧泣(ていきゅう)文。

 ()()が古事並びに王代の異説は(つぶさ)に註等の如し。啓蒙に云く「史記の第十四巻十二の諸侯の年表に、()の国の武王・(ぶん)(のう)・成王等」云云。

 文の元意に云く、今日本国の諸人一同の(こころ)(おも)えらく、弘法・慈覚等は先代の明哲、天下の帰依(きえ)なり。今の日蓮は是れ後世の末学、辺鄙(へんぴ)小僧(しょうそう)なり。故に智有りと雖も先哲に超えずと。然れば(たと)い経文を引いて向来の義を証すと雖も、(かみ)一人より(しも)万民に至るまで、誰人か之を信ぜん。例せば卞和が真玉を以て()(しゃく)と為し、忠事を以て慢事と為すと渧泣せしが如し。

日蓮も亦、天下の諸人一同に(ただ)弘法等の謗法の(ざん)()を信じて、日蓮が正法の忠諌を用いずして、妙法の真玉を以て権教の瓦石に同ずと歎くなり。故に「卞和(べんか)渧泣(ていきゅう)等是なり」と云うなり。

  亦復(まさ)に知るべし、此の卞和の(たま)を或は夜光の(たま)と名づけ、或は車照の璧と名づけ、或は趙璧(ちょうへき)と名づけ、或は連城の璧と名づくるなり。(いわ)く、此の璧は光明赫々(かっかく)として十二の街を(てら)す。故に夜光の玉と名づくるなり。(ずい)(こう)の夜光の珠には同じからず。又車十七輌を照す、故に車照の玉と名づく。代々の帝王の宝として(ちょう)(おう)に伝わるが故に趙璧と名づけ、秦王、秦の十五城に替ゆるが故に(また)連城の玉と名づくるなり。三国伝記第二・七紙を()いて見よ。  

一 伍子胥(ごししょ)悲傷(ひしょう)是なり。

  太平記第四巻に云云。十六日夜、(これ)を談ず云云。

 

十八日

 

一 (しか)りと雖も略開近等

  此の下は次に正しく文証を引いて寿量所被(しょひ)の時機を明かすなり。中に於て涌出品の文に「然も(もろもろ)(しん)発意(ぽっち)の菩薩」とは、是れ所被の機なり。「仏の滅後に(おい)て」とは、是れ所被の時なり。下の六の文の中に、寿量・分別・神力(じんりき)・薬王の四文は、是れ所被の時なり。「此の経は則ち()れ」「(たと)えば七子の如し」の二文は、是れ所被の機を明かすなり。  

一 動執生疑(どうしゅうしょうぎ)

  涌出品の始終、之を()ぶ。  

一 (あるい)は信受せずして等

  不信・毀法(きぼう)の両種の謗法云云。  

一 罪業の因縁(いんねん)文。

  (こころ)に信受せざるは即ち罪業の因なり。口に法を破るは是れ罪業の縁なり。故に「罪業の因縁」と云うなり。総じて此の文意(もんい)本尊抄二十二、開目抄下六。

一 文の(こころ)は寿量品を説かずんば

既に寿量品を説かずんば、末代の凡夫(みな)悪道に()つ。故に知んぬ、寿量品を説きたもうが故に末代の凡夫(みな)成仏するなり。(あに)広開近顕遠の寿量品は末代今時(いまどき)の日蓮等が為に非ずや。


             つづく
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by johsei1129 | 2016-03-14 21:37 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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