人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2016年 03月 14日

真言を崇むる故に観音を以て本尊とす。真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり<中略>譬えば武士の如しと云うて崇めざるなり故に日本国は亡国とならんとするなり、と断じた【真言七重勝劣事】

【真言七重勝劣事】
■出筆時期:文永七年(1270年) 四十九歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍に与えられた書で、法華経と大日二経の勝劣について七重に分別されて説かれた法門です。
 大聖人は弟子・信徒教化のため本書を認めたと思われ、当時の延暦寺が真言を崇め釈尊ではなく観音菩薩を仏として崇める故に日本国は「亡国」になると断じております。
■ご真筆:現存しておりません。
【真言七重勝劣事 本文】

一 法華・大日二経の七重勝劣の事。
一 尸那・扶桑の人師・一代聖教を判ずるの事。
一 鎮護国家の三部の事。
一 内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。
一 天台宗に帰伏する人人の四句の事。
一 今経の位を人に配するの事。
一 三塔の事。
一 日本国仏神の座席の事。

■法華・大日二経の七重勝劣の事。

法華経第一 ----本門第一
      ----迹門第二

 已今当第一
「薬王今汝に告ぐ・諸経の中に於いて最も其の上に在り」

涅槃経 第二 「是経出世」
無量義経 第三 「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く・真実甚深・真実甚深」
華厳経 第四
般若経 第五
蘇悉地経 第六
 上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作すべし。決定として成就せん、所謂(いわゆる)乞食・精勤(しょうごん)・念誦・大恭敬(だいくぎょう)・巡八聖跡・礼拝行道なり。或は復大般若経七遍・或は一百遍を転読す」下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」
大日経第七
 三国に未だ弘通せざる法門なり。

■尸那・扶桑の人師一代聖教を判ずるの事

華厳経第一
涅槃経第二  南北の義 晋・斉等五百余年・三百六十余人光宅を以て長と為す。
法華経第三

般若経第一  吉蔵の義 梁代の人なり。

法華経第一     南岳の御弟子なり。
涅槃経第二  天台智者大師の御義 陳隋二代の人なり。
華厳経第三     妙楽等之を用う。

深密経第一
法華経第二  玄奘の義 唐の始め太宗の御宇の人なり。
般若経第三

華厳経第一
法華経第二  法蔵・澄観等の義 唐の半ば則天皇后の御宇の人なり。
涅槃経第三

大日経第一
法華経第二  善無畏・不空等の義 唐の末・玄宗の御宇の人なり。
諸経第三

法華経第一
涅槃経第二  伝教の御義
諸経第三  人王五十代桓武の御宇及び平城・嵯峨の御代の人、比叡山延暦寺なり。

大日経第一
華厳経第二  弘法の義 人王五十二代嵯峨・淳和二代の人、東寺・高野等なり。
法華経第三

大日経第一
法華経第二  
諸経第三  
 慈覚の義 善無畏を以て師と為す、仁明・文徳・清和の三代、叡山講堂総持院なり。智証之に同ず、園城寺なり。

■鎮護国家の三部の事

法華経
密厳経  
仁王経
 不空三蔵 大暦に法華寺に之を置く、大暦二年護摩寺を改めて法華寺を立つ、中央に法華経・脇士に両部の大日なり。

法華経
浄名経 
勝鬘経
 聖徳太子 人王三十四代推古天皇の御宇、四天王寺に之を置く摂津の国難波郡仏法最初の寺なり。

法華経
金光明経  
仁王経
 伝教大師 人王五十代桓武天皇の御宇、比叡山延暦寺止観院に之を置く、年分得度者一人は遮那業、一人は止観業なり。

大日経
金剛頂経  
蘇悉地経
 慈覚大師 人王五十四代仁明天皇の御宇、比叡山東塔の西総持院に之を置かる、御本尊は大日如来、金蘇(こんそ)の二疏十四巻安置せらる。


内裏に三宝有り内典の三部に当るの事。

神 璽 国の手験なり。
宝 剣 国敵を禦(ふせ)ぐ財なり、平家の乱の時に海に入りて見えず。
内侍所 天照太神影を浮かべ給う神鏡と云う、左馬頭頼茂(さまのかみ・よりしげ)に打たれて焼失す。

■天台宗に帰伏する人人の四句の事

一に身心倶に移る    三論の嘉祥大師 華厳の澄観法師
二に心移りて身移らず  真言の善無畏・不空 華厳の法蔵 法相の慈恩
三に身移りて心移らず  慈覚大師 智証大師
四に身心倶に移らず   弘法大師

■今経の位を人に配するの事
征夷将軍  鎌倉殿 無量義経
摂政    涅槃経
院     迹門十四品
天子    本門十四品

■三塔の事

中 堂  伝教大師の御建立 止観・遮那の二業を置く、御本尊は薬師如来なり、延暦年中の御建立・王城の丑寅に当る、桓武天皇の御崇重、天子本命の道場と云う。

止観院  本院 天竺には霊鷲山と云い・震旦には天台山と云い・扶桑には比叡山と云う。三国伝灯の仏法此に極まれり。

講 堂  総持院 慈覚大師の建立 鎮護国家の道場と云う、御本尊は大日如来なり、承和年中の建立、止観院の西に真言の三部を置き是を東塔と云うなり、伝教の御弟子第三の座主なり。

釈迦堂[西塔 宝幢院]  円澄の建立 伝教の御弟子なり。
観音[横川 楞厳院]   慈覚の建立

■日本国仏神の座席の事

 問う、吾が朝には何れの仏を以て一の座と為し、何れの法を以て一の座と為し、何れの僧を以て一の座と為すや。
 答う、観世音菩薩を以て一の座と為し、真言の法を以て一の座と為し、東寺の僧を以て一の座と為すなり。
 問う、日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は山寺種種なりと雖も延暦寺を以て天子本命の道場と定め、鎮護国家の道場と定む。然して日本最初の本尊釈迦を一の座と為す、然らずんば延暦寺の薬師を以て一の座と為すか。又代代の帝王・起請を書いて山の弟子とならんと定め給ふ故に法華経を以て法の一の座と為し延暦寺の僧を以て一の座と為す可し。何ぞ仏を本尊とせず・菩薩を以て諸仏の一の座と為すや。
 答う、尤も然る可しと雖も慈覚の御時・叡山は真言になる。東寺は弘法の真言を建立す、故に共に真言師なり。共に真言師なるが故に東寺を本として真言を崇む。真言を崇むる故に観音を以て本尊とす。
 真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり。故に内裏に毎年正月八日の内道場の法行わる、東寺の一の長者を召して行わる、若し一の長者暇(いとま)有らざれば二の長者行うべし。三までは及ぼす可からず云云。
 故に仏には観音・法には真言・僧には東寺法師なり。比叡山をば鬼門の方とて之を下す。譬えば武士の如しと云うて崇めざるなり、故に日本国は亡国とならんとするなり。
 問う、神の次第如何。
 答う、天照太神を一の座と為し、八幡大菩薩を第二の座と為す。是より已下の神は三千二百三十二社なり。




by johsei1129 | 2016-03-14 18:08 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)


<< 法華取要抄文段 二一  寿量品...      GOSHO 上野殿御返事(須逹... >>