日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 09日

銅の御器二つ供養された池上宗長の女房を釈迦仏が成道するとき乳粥を捧げた牧牛女に匹敵すると称えた【兵衛志殿女房御返事】

【兵衛志殿女房御返事】
■出筆時期:建治三年弘安二年(1277)十一月七日 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟兵衛志殿(池上宗長)の女房から、銅製の器二つをご供養されたことへの返書となっております。
銅製の器二つとは、おそらく身延の草庵の宝殿の左右に据える仏具であろうと思われ、鎌倉時代としては非常に高価なものであったと推察されます。

大聖人は釈尊が仏になる時の修行中、バラモンの難行苦行では悟れないと、その修行を放棄し弱った体を休めていた時「牧牛女と申せし女人(仏伝では村長の娘スジャータ)」から牛の乳の粥を供養され体力を回復、その後菩提樹のもとで瞑想し成道したという謂れを説いて、この度銅器二つをはるばる身延の宝前まで届けた兵衛志殿女房は、その牧牛女に匹敵すると称えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【兵衛志殿女房御返事 本文】

銅の御器二つ給び畢ぬ。
釈迦仏三十の御年、仏になり始(そ)めてをはし候時、牧牛女と申せし女人、乳のかい(粥)をにて仏にまいらせんとし候ひし程に、いれてまいらすべき器なし。
毘沙門天王等の四天王、四鉢を仏にまいらせたりし、其の鉢をうちかさねてかい(粥)をまいらせしに仏にはならせ給ふ。
其の鉢、後には人ももらざりしかども、常に飯のみ(満)ちしなり。後に馬鳴菩薩と申せし菩薩、伝へて金銭三貫にほうじたりしなり。
今御器二を千里にをくり、釈迦仏にまいらせ給へば、かの福のごとくなるべし。委しくは申さず候。
十一月七日  日蓮花押 
兵衛志殿女房御返事 




by johsei1129 | 2016-03-09 21:10 | 池上兄弟 | Comments(0)


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