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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 07日

法華取要抄文段 十二  文上に准ぜば本果久成の遠本を顕す、文底に拠らば久遠元初の名字の遠本を顕す、是れ真実の開近顕遠なり 


 問う、天台の広開近顕遠を以て、蓮師、何ぞ略開近顕遠と名づくるや。

答う、天台の広開近顕遠は(ただ)本果久成の遠本を顕し、未だ久遠元初の名字の遠本を顕さず。故に蓮祖の広開近顕遠に望むるに、実に是れ略開近顕遠なり。故に退(しりぞ)いて涌出品の略開に属するなり。

問う、寿量両辺の証文は如何(いかん)

答う、(すで)開目抄「寿量品の文の底に秘し沈めたり」と云う。

本尊抄に、()ず一品二半を以て在世の脱益と為し、次に内証の寿量品を以て本化(ほんげ)の付嘱と為す。両辺既に是れ分明(ふんみょう)なり。何ぞ(さら)に文証を求めんや云云。

問う、経文の進退は如何(いかん)

答う、(しばら)体用(たいゆう)の三身の如し。若し文の上の意は「如来秘密」は本果の三身、「神通之力」は第二番已後(いご)の迹中の三身なり。(けだ)し内証の意は「如来秘密」は久遠名字の三身、「神通之力」は本果(ほんが)已後の迹中の三身なり云云。  

一 動執生疑(どうしゅうしょうぎ)の半品等

  問う、天台は動執生疑の文を以て(まさ)しく(りゃっ)(かい)に属す。故に「略開近顕遠・動執生疑」と云う。蓮祖、何ぞ広開近顕遠に属するや。

  答う、一義に云く、略開に()る故に動執生疑す。故に大師は略開に属するなり。(けだ)し蓮祖の意は即ち三義あり。

  一には動執生疑に由り寿量の説(おこ)るが故に。

  二には疑請(ぎしょう)と正答と一連の便(びん)あるが故に。

  三には滅後正意の類文あるが故に云云。

(いわ)く、()し文の便を論ずれば(あるい)(しか)るべきなり。若し実義を論ずれば、是れ理に(つく)せるに非ず。天台は、略開に()る故に動執生疑す、故に略開に属し、広開近顕遠を以て断疑生信と定むるなり。(けだ)し吾が祖の意は、既に略開を以て在世の(だっ)(ちゃく)と為す、故に断疑生信に(あた)れり。何ぞ動執生疑を以て略開に属すべけんや。故に進んで広開に属するなり。是れ(すなわ)ち動執生疑に由り、広開の説(おこ)るの便有るが故なり。故に文の便、義の便有り。何ぞ(ただ)文の便のみならんや。  

一 (こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)と名く等

  開近顕遠に(また)両辺あり。()し文上に准ぜば、近日()(じょう)近迹(ごんしゃく)を開して本果()(じょう)の遠本を顕す、故に開近顕遠と云うなり。若し文底に()らば、本果・中間(ちゅうげん)今日(こんにち)近迹(ごんしゃく)を開して久遠元初の名字の遠本を(あらわ)す、故に開近顕遠と云うなり。 

問う、何ぞ本果を以て(なお)近迹と名づくるや。

  答う、是れ久遠元初の自受用(じじゅゆう)(しん)に望むるが故なり。此れは是れ内証の寿量品の顕本(けんぽん)の意なり云云。  

一 一向(いっこう)に滅後の為なり

 若し迹門正宗(しょうしゅう)八品の如きは逆次に(これ)を読むと雖も、傍正(これ)りと雖も、(なお)在滅及び正像等に(わた)れり。今、本門内証の寿量品は(しか)らず。一向に滅後末法の為なり。故に「一向に」と云うなり。序・正・流通(とも)に一向に滅後の為と判ずるには同じからざるなり。


                   つづく

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by johsei1129 | 2016-03-07 21:30 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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