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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 04日

法華取要抄文段 九 凡そ蓮祖の本懐、宗門の綱格は、正に正像未弘の本門三箇の秘法を以て、末法流布の正体と為す


  十八日

 

一 二月十五日

 (ちゅう)(つぶさ)に涅槃経を引くが如し。深意有り、往いて見よ。  

一 四月八日

  仏生、仏滅、異説紛紜(ふんうん)たり。名義の三・二十二、統紀二・八に云云。随筆の三・四十三に云く「周の四月は即ち今の二月なり」云云。今(いわ)く、三代の正朔(せいさく)同じからずと雖も、皆(とら)の月を以て数を起すなり。(つぶさ)には開目抄に至るを()つ。書経四・十四に云云。 

一 我も亦()れ世の父

  御義口伝下十六に、主師(しゅし)(しん)等云云。  

一 天台大師云く等

  玄義六・六十、応生(おうしょう)の三義を見るべし云云。
 

三月七日

 

一 問うて云く法華経は誰人(だれびと)の為に等

 此の下は大段の第二、今経所被(しょひ)の時機を明かす、二。初めに迹本二門、次に証明、舌相等。初めの文は(おのずか)ら二。初めに迹門、次に本門なり。  

一 方便品より乃至(はっぽん)に二意有り

  啓蒙に多義を挙ぐ。並びに是れ迷乱なり。今(いわ)く、(まさ)此の文の意は、(ただ)正宗を論じて流通(るつう)を論ぜず。流通は(もと)より滅後の為なるが故に、今は置いて之を論ぜず。但し正宗八品に()いて順逆を以て二意を明かすなり。

謂く、(じゅん)()之を読めば但在世の衆生の為なり。在世の衆生に三人有り。謂く、菩薩・二乗・凡夫(ぼんぷ)なり。当に知るべし、此の文に於いては、(ただ)文の次第に(じゅん)じて未だ義の(ぼう)(しょう)を論ぜざるなり。

  文の次第とは、正説の文に云く「菩薩()の法を聞いて、疑網(ぎもう)(すで)に除く。千二百の羅漢(ことごと)(また)当に作仏すべし」、及び歓喜段の文に云く「大智舎利(しゃり)(ほつ)、今尊記(そんき)を受くることを得たり。我等(われら)(かく)の如く、必ず当に作仏(さぶつ)することを得べし」等云云。今此の文の次第に依るが故に「第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫」と云うなり。若し(また)義の傍正を論ぜば、本尊抄及び薬王品得意抄の如く、(まさ)に「二乗を以て(しょう)と為し、菩薩・凡夫を(ぼう)と為す」(取意)と云うべきなり。所詮(しょせん)、順次に之を読めば、但在世の衆生の為なり。

  次に逆次に、流通段より立ち(かえ)って正宗八品を見れば、則ち傍正あり。所謂(いわゆる)滅後の衆生を(しょう)と為し、在世の衆生を傍と為すなり。滅後の中にも正像は(なお)傍なり。末法を正と為し、末法の中にも日蓮を以て正と為す。故に迹門の正宗八品も、(まさ)に末法今時の日蓮が為に之を説くなり云云。  

  問う、迹門の正宗八品、末法今時の為と成す意は如何(いかん)

  答う、啓蒙(日講)の意に云く、是れ(すなわ)ち末法流布の正体なるが故なり云云。

難じて云く、(およ)そ蓮祖の本懐、宗門の綱格は、正に正像未弘(みぐ)の本門三箇(さんか)の秘法を以て、末法流布の正体と為す。(しばら)く一文を引かん。

報恩抄下巻に三箇の秘法を釈し(おわ)って云く「『後五百歳中広宣流布』云云。此の経文若し(むな)しくなるならば、三千塵点も戯論(けろん)となり、五百塵点も妄語とならん。(いかで)か其の義有る可き。其の義無くば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり」(取意)云云。顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提(えんぶだい)広宣(こうせん)流布(るふ)せしめんか」云云。

  (いわん)や当抄に浅きより深きに至って之を判じ、結して云く「上行等の聖人出現し本門の三つの法門(これ)を建立し一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」云云。明文(あたか)も白日の如し。

日講、何ぞ迹門の正宗八品を以て末法流布の正体と為すと云うや。彼(なお)天台の本迹を知らず、況や蓮祖出世の本意を知らんや。(あわ)れむべし、悲しむべし。


                      つづく
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by johsei1129 | 2016-03-04 22:13 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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