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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 02日

法華取要抄文段 七 今、地涌千界に望み、迹化の菩薩を以て未断惑の凡夫と名づくるなり


  十五日

 

一 所謂(いわゆる)金光明等

  開目抄下二十三已下、()いて見よ。本朝法華伝の上二十五、六。  

一 此等の諸文は法華経の()(こん)(とう)の三字に(そう)()せる文なり

  記の六・三十六に云く「(たと)い経有って諸経の王と云うと雖も、已今当説、最為(さいい)第一と云わず。兼但(けんたん)対帯(たいたい)、其の義知る可し」云云。 

一 或は(ぼん)(たい)・四天等の諸経に対当すれば等

  梵天の出欲論、帝釈の種々勝論云云。開目抄上四十四ウ、(ごん)抄四六十二。  

一 ()れ諸経の王の大王なるに非ず。

  報恩抄上五、往いて見よ。  

一 所詮(しょせん)所対を見て等

  例せば大小相対の如し。(つぶさ)には五義あり。迹門も(なお)本門に望むれば名づけて小と為すなり。記の九末九に云く「(およ)(もろもろ)法相(ほっそう)は所対不同なり。何ぞ(すべから)く問うて円は小を(ねが)うに応ぜずと言うべけんや(注:別の読み下しあり。大石寺版:何ぞ問うて円は(まさ)に楽小なるべからずと言うを()たんや)」云云。  

一 強敵(ごうてき)臥伏(がふく)するに等

  日本(やまと)(たけるの)(みこと)の事、大成経二十一・十二に出ず。 

一 ()の上諸経の勝劣

  此の下は証明の有無を明かす。他経の中には証明等無し、故に「釈尊一仏の(せん)(じん)」と云うなり。

  問う、般若(はんにゃ)経の舌相(ぜっそう)、弥陀経の舌相は如何(いかん)

  答う、本尊抄八・二十四に云く「()れ顕密二道・一切の大小乗経の中に釈迦諸仏並び坐し舌相(ぜっそう)梵天(ぼんてん)に至る文(これ)無し、阿弥陀経の広長舌相三千を(おお)うは有名(うみょう)無実(むじつ)なり、般若経の舌相三千(ひかり)を放って般若を説きしも全く証明にあらず、(これ)は皆兼帯(けんたい)の故に久遠(くおん)覆相(ふぞう)する故なり」云云。開目抄上十九。  

一 諸経は或は二乗凡夫に対揚(たいよう)して

  此の下は対告(たいごう)尊卑(そんぴ)を明かすなり。  

一 ()(はく)の菩薩等

「弘博」は即ち是れ凡夫(ぼんぷ)の義なり。書註一・十五に「弘は大なり、広なり。博は通なり、普なり」文。広大普通、(あに)凡夫の義に非ずや。例せば(はく)()の凡夫、普通の凡夫の如し。今、地涌(じゆ)千界(せんがい)に望み、迹化(しゃっけ)の菩薩を以て()断惑(だんなく)の凡夫と名づくるなり。其の相、当体義抄二十三・二十一、十法界抄三十四・三十五に(つぶさ)に経釈を引いて(これ)を判ずるが如し。


つづく


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by johsei1129 | 2016-03-02 21:16 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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