日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 29日

在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨 終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、と記された【松野殿御返事】

【松野殿御返事】
■出筆時期:建治三年(1277年)九月九日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を宛てられた松野殿は駿河・庵原(いはら)郡松野の郷主で、娘は南条家に嫁ぎ南条時光の母となっており、謂わば時光の外祖父であります。また子息の一人は出家し六老僧の一人日持となります。松野殿は翌年の弘安元年十一月に逝去なされており、本消息を賜った頃はあるいは病身であったのではと思われ、大聖人は本抄で「余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ」と法華経への信心を励まされたのではと推察されます。

松野殿への御消息は十二通伝えられておりますが、その中で建治二年十二月九日に与えられた消息では松野殿が大聖人に「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきや」と問われ「勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり。但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり。<中略>果を列ぬ悪の因に十四あり」と記され、成仏を妨げる「十四誹謗」を説かれた貴重な御消息【松野殿御返事(十四誹謗抄)】賜っておられます。
尚、追伸の「目連樹十両計り給はり候べく候」とは実を数珠の珠にする目連樹という木を大聖人が上野殿に求めている意味となります。
■ご真筆:現存しておりません。

【松野殿御返事 本文】
鵞目一貫文・油一升・衣一・筆十管給い候、今に始めぬ御志申し尽しがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

先立より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ。
法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん。
法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候。
委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

建治三年丁丑九月九日   日 蓮 花 押
松野殿御返事
追て申し候目連樹十両計り給はり候べく候




by johsei1129 | 2016-02-29 22:17 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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