【故最明寺入道見参御書】
■出筆時期:文永六年(1269年) 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を記された前年に蒙古の国書が幕府に届き『立正安国論』で説いた他国侵逼(しんぴつ)が的中したことを受け、大聖人は幕府要人並びに他宗派寺院に『十一通御書』を弟子に届けさせます。本書はその翌年に認められましたが、文応元年七月の国家諌暁の際、確かに北条時頼(最明寺入道)に見参し、直接、当時鎌倉武士に広まっていた禅宗は「天魔の所為である由(理由)について申し述べ、『立正安国論』を献じたと記されておられます。
また大聖人が北条時頼(最明寺入道)に見参したことは翌年の文永七年に著された
【法門申さるべき様の事】にも次のように認められておられます。
「但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世・正直の者にては候へ。其の故は故最明寺入道に向つて禅宗は天魔のそいなるべし、のちに勘文もつてこれをつげしらしむ。日本国の皆人・無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ、これをもつて推察あるべし」
■ご真筆:石川県 妙成寺所蔵。
【故最明寺入道見御書 本文】※本書の前後はご真筆が残されておらず内容は不明です。
[原文]
挙寺ゝ日本国中為令捨舊為
寺御帰依天魔所為之由
故最明寺入道殿見参之時
申之 又立正安國論挙之
惣日本國中禅宗念仏宗
[読み下し文]
(※注:禅宗は)寺々を挙げて、日本国中の旧寺(※注:延暦寺などの法華経信仰の各寺院)
御帰依を捨てしめんが為に、天魔の所為たるの由、故最明寺入道(北条時頼)殿に見参の時之を申す。
又立正安国論之を挙ぐ。総じて日本国中の禅宗・念仏宗・・・・