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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 24日

法華経題目抄 文段二五  十界互具する則は一人に十界を具す。一人の成仏は豈十界の成仏に非ずや


一 当世の衆生の・成仏往生の()()たき事は等

  (まさ)に知るべし、在世は是れ二乗・闡提(せんだい)・女人・悪人と(いえど)も、皆是れ三五下種の(ともがら)にして、世々已来(いらい)乃至今日調(じょう)(じゅく)の衆生なり。故に難しと雖も仍易(なおやす)し。今末法の衆生は(たと)善人・男子と雖も、皆是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の衆生にして、無始已来(いらい)未だ(かつ)て成仏の種子あらず。(いわん)や悪人・女人をや。故に「百千万億倍」と云うなり。(しか)るに四十余年の経々は「余経を以て種と為さず」と釈して、是れ成仏の種子に非ず。何ぞ彼の経に()って生死(しょうじ)を離るることを得ん。故に「はか()()し・はかなし」と云うなり。  

一 (ただ)男に記して女に記せず等

  文の七・四十一に云く「他経は(ただ)菩薩に記して二乗に記せず。但善に記して悪に記せず。但男に記して女に記せず。但人天に記して(ちく)に記せず」等文。今()の中は女人に約する故に、前後の文を略するなり。

  問う、他経は実に二乗作仏の文無し。此の義は是れを疑うべきに(あら)ず。但し他経の中にも悪人・女人・竜畜の授記は分明(ふんみょう)なり。(いわ)く、普超(ふちょう)経の(じゃ)(おう)の授記、大集(だいしつ)経の()()天子の授記、(あに)悪人の授記に非ずや。勝曼(しょうまん)経の離垢施(りくせ)女、般若経の(ごう)()天女は即ち是れ女人の授記なり。海竜王経の竜女の授記、師子(しし)(がつ)経の獼猴(みこう)の授記、此れは是れ竜畜の記なり。大師、(なん)ぞ「悪に記せず、女に記せず、畜に記せず」等と云うや。

  答う、東陽の(ちゅう)(じん)の口伝に云く「他経に悪人を記するとは、実には善人に記すると習うなり。其の故は悪人、悪心を(ひるがえ)して善人と成り、後に成仏すべき故に善人を記するの義なり」已上。

女人も例して(しか)り。(いわ)く、諂曲(てんごく)の心を改めて正直の心と成り、後に成仏すべし。竜畜も(また)例するなり。謂く、心を(あらた)め身を転じて後に成仏すべきなり。故に(みな)是れ改転の成仏なり。故に知んぬ、他経の悪人・女人・竜畜の授記は畢竟(ひっきょう)して之を論ずれば善人・男子・人天の授記なり。故に「悪に記せず、女に記せず」等と云うなり。其の外、証真の料簡(りょうけん)に云云。諫迷(かんめい)・七十四。中正五・三十三。金山七・百に云云。  

  問う、若し(しか)らば、菩薩・善人・男子・人天の授記は是れ真実なるや。

  答う、(なお)是れ虚妄(こもう)の授記なり。故に「(ただ)記す」と云う。当に知るべし「但記す」とは虚妄の授記なることを顕すなり。

  十法界抄に云く「菩薩に二乗を(す二乗成仏せずんば菩薩も成仏す可からざるなり乃至二乗の沈空(じんくう)尽滅(じんめつ)は即ち是れ菩薩の沈空尽滅なり」と。

  是れ則ち一念三千の成仏に非ざれば有名(うみょう)無実(むじつ)にして虚妄の授記なり。故に「但記す」と云うなり。(けだ)し今経に於ては正しく一念三千を明かす、故に一人の成仏は法界(ほっかい)の成仏なり。故に一人に記するも即ち(なお)是れ十界の授記なり。故に「今経は皆記す」と云うなり。

当に知るべし、十界互具する(とき)は一人に十界を具す。一人の成仏は(あに)十界の成仏に非ずや。故に妙楽云く「故に成道の時は此の本理に(かな)い、一身一念法界に(あまね)し」等云云。(まさ)に知るべし「皆記す」とは真実の授記なることを顕すなり。  


 つづく



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by johsei1129 | 2016-02-24 11:50 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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