日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 20日

法華経題目抄 文段二十  「大智舎利弗、今尊記を受くることを得たり。我等亦是くの如く、必ず当に作仏することを得べし」


一 (もろもろ)の菩薩の二目等

  此の下は爾前の二失に合するなり。(いわ)く、爾前の諸経は既に長夜の闇の如し。三乗等の眼を閉じて法体の本妙の色形(しきぎょう)を見せしめざるなり。次に「中程に」等の下は法華の二徳に合するなり。(いわ)く、本迹二門は既に日月の如し。故に三乗等の眼を開く。法体(ほったい)の本妙の色形を見せしむるなり。

  問う、「爾前」の(がっ)()の文には眼を閉ずと云わず。亦「法華」の下には色形(しきぎょう)を見るといわず。何ぞ二失、二得に合すと云うや。

  答う、影略(ようりゃく)()(けん)なり。(いわ)く、色形を(わきま)えざることは(まこと)に眼を閉ずるに()る。眼を開く意は(まさ)に色形を見るに()り。故に(おのおの)一を挙げて以て二意に合するなり。

一 中程(なかほど)に法華経の時・迹門の月輪等

  (まさ)に知るべし「迹門」は爾前と本門の中間なり。故に「中程」と云うなり。

  問う、啓蒙に云く「古本に『迹門の日輪』云云。(もっと)も正と為すべし。一には、今は本迹を(わか)つ場所に非ざるが故に。二には、別に日輪の(がっ)()(これ)無きが故に。三には、下の文の『春夏の日輪』の文は本迹に(わた)が故に。但し『中程』とは、爾前の闇に迷う最中(もなか)に法華を説き始むる故なり」等云云。此の義は如何(いかん)

  答う、既に次下(つぎしも)に「迹門十四品の一妙・本門十四品の一妙」と云う。何ぞ一向に本迹を分つ場所に非ずといわんや是一。

若し「迹門の日輪」に作らば、別に月輪の合譬(これ)無し是二。

(およ)そ譬えを用うること一准(いちじゅん)ならず。何ぞ下の文を以て()いて今の文に()せんや是三。

多くの難有りと雖も、今は(しばら)之を略す。  

一 菩薩の両眼(りょうがん)

  法説(ほっせつ)の第一、正説に云く「菩薩()の法を聞いて、疑網(ぎもう)(すで)に除く。千二百の羅漢(ことごと)(また)(まさ)作仏(さぶつ)すべし」云云。同じき第五の歓喜段に云く「大智舎利(しゃり)(ほつ)、今尊記を受くることを得たり。我等(また)()くの如く、必ず(まさ)に作仏することを得べし」文。故に知んぬ、第一に菩薩、第二に二乗、第三に凡夫なり。「我等亦()くの(ごと)し」とは是れ四衆・八部の凡夫なり云云。

(いき)(めくら)一闡提(いっせんだい)」とは、涅槃経九に云く「(ただ)生盲一闡提を除く」等云云。


                    つづく
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by johsei1129 | 2016-02-20 08:58 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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