日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 18日

法華経題目抄 文段十八  鑰(かぎ)なければ開く事かたし 妙と申す事は開と云う事なり


一 (ほつ)とは開なり

  (せん)の一本二十に云く「発とは開なり。昔秘して説かず」等云云。記の三中四十八に云く「発とは開なり。所除の辺に約して名づけて発迹(ほっしゃく)と為し、所見の辺に約して発本(ほつほん)と為す」等云云。

一 妙と申す事は(かい)と云う事なり

  蔵を開く(とき)は必ず(たから)を見る。故に蔵を開くとは即ち財を見る義なり。亦(とばり)を開く則は必ず仏を見る。故に開帳とは即ち見仏の義なり。故に(しか)()うなり。

一 世間に財を積める(くら)

  此の下は次に広釈、二。初めに(かぎ)に依って蔵を開く義に寄せて釈し、次に「(たと)えば大地」の下は、日月に()って眼を開く義に寄せて釈す。初めに亦二。初めに()(ぜん)、次に「而るに仏」の下は今経。 

一 (かぎ)なければ開く事かたし等

  例せば大師の第十五の(くら)の如し云云。御書十三・二十。山門秘伝見聞七に云く「伝教大師()叡山(えいざん)建立の時・根本中堂の地を引き給いし時・地中より(した)八つある鑰を引き出したり、此の鑰を以て入唐(にっとう)の時に天台大師より第七代・妙楽大師の御弟子・道邃(どうずい)和尚(わじょう)()い奉りて天台の法門を伝え給いし時、天機秀発の人たりし(あいだ)・道邃和尚(よろこ)んで天台の(つく)り給へる十五の経蔵を開き見せしめ給いしに十四を開いて一の蔵を開かず、()の時伝教大師云く師此の一蔵を開き給えと()い給いしに(ずい)和尚云く『此の一蔵は開く可き鑰無し天台大師(みずか)ら出世して開き給う可し』と云云。其の時伝教大師日本より随身(ずいしん)の鑰を以て開き給いしに、此の経蔵開けたりしかば経蔵の内より光・(へや)に満ちたりき、其の光の(もと)(たず)ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなり、ありがたき事なり、其の時・道邃(どうずい)和尚は返って伝教大師を礼拝し給いき、天台大師の後身と」云云。(がっ)()云云。  

一 (しか)るに仏・法華経を説かせ給いて等

  当に知るべし、財は是れ法体(ほったい)の本妙、蔵は是れ()(ぜん)の諸経、(かぎ)は是れ開顕の法華経なり。然るに爾前四十余年の間は(むな)しく四味三教の蔵門を閉じ(いたずら)に法体本妙の財を隠して開顕の鑰なし。故に蔵を開くこと(あた)わず。所以(ゆえ)に蔵の内の財を見ず。(たと)い見ると思いし者も僻見(びゃっけん)にて有りしなり。(しか)る後、法華開顕の鑰を以て爾前諸経の蔵を開きたもう。此の時、四十余年の九界の衆生は始めて法体(ほったい)本妙の(たから)を見知りたりしなり。既に蔵開く(とき)は妙を見る。故に「妙と申す事は(かい)と云う事なり」云云。


                    つづく
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by johsei1129 | 2016-02-18 21:52 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)


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