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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 15日

法華経題目抄 文段十五  助行には広を捨てて略を取り、正行には略を捨てて要を取るなり


  九 日

一 問うて云く題目(ばか)

  大段の第二、引証、亦二。初めに(まさ)しく証を引き、次に(こう)(りゃく)(よう)を判じて要を取るの義を決するなり。

  「題目計りを唱う」とは、(まさ)しく宗祖の意は信じて是れを唱うるを題目を唱うと名づくるなり。此れは是れ経釈の元意(がんい)、祖書の大判、本門三()の秘法の中の本門の題目は、必ず信行を()するが故なり。

(すべから)く知るべし、信は是れ行の始め、行は是れ信の終り、故に須臾(しゅゆ)も離るべからず。離るべきは題目に非ざるなり。(いわん)(また)当抄の大意は(もっぱ)ら唱題の妙用(みょうゆう)を明かして信心の勝徳を(たん)ずるをや。故に今「題目計りを唱う」とは、即ち信じて之を唱うる義なり。()し信ぜずして妙法を唱うるをば、題目を唱うと名づけず。例せば「論語読みの論語読まず」と云うが如し。(まさ)に「題目(とな)えの題目唱えず」と名づくべきなり。(しか)りと雖も一向(いっこう)に唱えざる人には(まさ)らんか。古歌に云く「論語読みの論語読まずも浦山うらやま 論語読まずの論語読まずは」云云。なお恐る、日夜の宝を数うるが如く、宝山の空手くうしゅに似たらんことを。故にただ本門の本尊を信じて、本門寿量の妙法をとなうべきなり。

一 法華の(みな)を受持せん者

  此の引証の文意に信行を具す。(いわ)「受持」は是れを以て信心を顕す。「法華の名」とは正しく唱題を証するなり。大論十五・十五に云く「信力(しんりき)大なる故に()く持ち、能く受く」文。

一 一部・八巻等

  此の下は広・略・要を判じ、要を取るの義を決するなり。所謂(いわゆる)上来(じょうらい)の消釈は即ち是れ此の意なり云云。

一 方便品寿量品(じゅりょうほん)乃至略なり

  「略」は欠略(けつりゃく)に非ず、即ち是れ(ぞん)(りゃく)なり。故に大覚抄に云く「余の二十六品は身に影の随い玉に(たから)(そな)はるが如し、方便品と寿量品とを読み候えば自然(じねん)()の品は読み候はねども備はり候なり」。

一 (ただ)一四句偈(くげ)文。

  文の八に云く「一句一偈とは随って経中の要偈(ようげ)を取る」云云。  

一 要中の要なり文。(注:この御文、全集・平成新編の両御書に拝せず)

  問う、「要」の字の意は如何(いかん)

  答う、一を挙げて一切を(くく)るの義なり。文の八・十三に云く「総じて一切を括るを要と為す」云云。孝経大義十八に云く「()の父を敬う(とき)は子(よろこ)び、其の君を敬う則は臣悦ぶ。一人を敬いて千万人悦ぶ。敬う者は(すくな)くして悦ぶ者は(おお)し。此れを(これ)要道と()う」云云。玄の一・十三に云く「()()るをか要と為す。綱維(こうい)(ひっさ)ぐるに目として動かざる無く、(ころも)一角(ひとすみ)()くに()として(きた)らざる無きが如し」等云云。

  唱法華題目抄十一・四十三に云く「其の上法華経の肝心(かんじん)たる方便・寿量の一念三千・久遠(くおん)(じつ)(じょう)の法門は妙法の二字におさまれり」文。

  故に知んぬ、宗祖の元意(がんい)は、二十六品は方便・寿量の両品に(おさ)まり、方便・寿量の両品は妙法の二字に収まる、故に(ただ)()の肝要を取り、(まさ)之を修行すべしとなり。

  故に取要抄に云く「日蓮は広略を()てて肝要を好む」等云云。

  問う、啓蒙に云く「吾が祖は唱題を正行(しょうぎょう)と為すと雖も、(しか)も広略の助行を(はい)す可からず。此の文、明証なり」云云。此の義は如何(いかん)。   

  答う、此の義、大いに非なり。正しく当文の意は(こう)(りゃく)(よう)を判じ、(ただ)要を取るの明証なり。何ぞ反倒(はんとう)して広・略を廃せざるの明証とせんや。

  大田抄に云く「広を()て略を取り、略を捨てて要を取る」云云。(まさ)に知るべし、助行(じょぎょう)には広を捨てて略を取り、正行には略を捨てて要を取るなり云云。(つぶさ)には末法相応抄(これ)を示すが如し。



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by johsei1129 | 2016-02-15 21:09 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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