日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 14日

法華経題目抄 文段十四  此の経は名を聞くこと難し 此の経に遭うこと難し

 
  享保(きょうほ)元丙申八月八日 七月(さく)(じつ)

             改元是れあり

 

一 法華経の第一の巻

  此の下は法の希有(けう)なることを(たん)ず、亦二。初めに名を聞くこと(かた)し。二に「されば此の経に値いたてまつる」の下は()うこと難し。初めに名を聞くことの難、亦二。初めに経を引いて釈し、次に「されば須仙(しゅせん)多仏(たぶつ)」の下は事を引いて(しゃく)す、亦三。初めに過去、次に「釈迦」の下は現世、次に「しかりといえども」の下は未来。三世に約して名を聞くこときを釈し(あらわ)なり。

一 無量無数劫(むしゅこう)

  此の文は(たて)に約す。第五の巻の文は横に約するなり。我等衆生の三界・六道を輪廻(りんね)し、或は天に生に生じ(にん)に生ず。或は修羅(しゅら)に生じ畜生に生ず。或は餓鬼に生じ地獄に生ずること「無量無数劫」なり。此の間に(つい)に法華経の名字を聞かず、故に今に至って生死を離れず。故に知んぬ、無量無数劫にも此の法を聞くこと最も難し。故に「()の法を聞かんこと(また)難し」と云うなり。

一 第五の巻に(いわ)く、是の法華経は等

  我等衆生、世々生々に無量の国に生を受け、無辺(むへん)の苦楽に合いしかども、一度も法華経の国に生まれず。故に今に至って(なお)流転(るてん)するなり。故に知んぬ、無量の国に於ても聞くことを得べからざるなり。

一 (しゅ)(せん)多仏(だふつ)文。

  大論三十四、註に引く所の如し。「多宝仏」も(また)註に引く所の如し。

一 仏滅度に至り文。(注:この御句、両御書に拝せず)

  「一千余年すぎて」とは摩訶尸那(まかしな)の初聞を()ぐるなり。「三百五十余年に及びて」とは日本の初聞を挙ぐるなり。

  松野抄三十四・四十一に云く「仏・月氏(がっし)国に出でさせ給い一代聖教を説かせ給いしに四十二年と申せしに始めて法華経を説かせ給ふ乃至一千二百余年と申せしに漢土(かんど)へ渡し給ふ、いまだ日本国へは渡らず、仏滅後一千五百余年と申すに日本国の第三十代・(きん)(めい)天皇と申せし御門(みかど)の御時・百済(くだら)国より始めて仏法渡る」云云。一千二百余年の後の三百余年は(すなわ)ち是れ「仏滅後一千五百余年」なり。 

一 されば此の経に()いたてまつる事等

  此の下は次に値遇(ちぐう)の難、亦二。初めに正しく釈し、次に「されば此の経の題目」の下は(けっか)(かん)

一 三千年に一度(はな)さく等

  経に云く「()(どん)(ばっ)()の時に一たび現ずるが如きのみ」文。天台の文句四に云く「優曇花とは(ここ)(れい)(ずい)と言う。三千年に一たび現ず。現ずれば則ち金輪(こんりん)(おう)出ず」等文。玄の七に云く「此の(れい)(ずい)()は蓮華に似たり。故に以て(たとえ)と為す」云云。(はな)の色は金色なり。施設論の説は註に引く所の如し。補註(ふちゅう)・四十一。啓運抄十一巻云云。

一 一眼(いちげん)の亀にもたとへたり

  経に云く「又、一眼の亀の浮木の(あな)()えるが如し」等云云。註の如し、啓蒙の如し。亦祖書三十四・三十九に委悉(いしつ)なり。往いて見よ。是れ文底の妙法に値い難きに(たと)うるなり。亦二十七・三十八(後五百歳合文)。  

一 大地の上に()を立て等

  大地より梵天に至るまで、二十九万四千()(じゅん)なり云云。

一 此の須弥山(しゅみせん)

  此の須弥山の中央より()の須弥山の中央に至るまで、十二億八万三千四百五十なり。

一 されば()の経の題目等

  此の下は結()()なり。(あるい)は文を分ちて云く、法の希有(けう)なることを歎ずるに亦三。初めに経文を引く。「法華経の御名(みな)を聞く」の下は釈。「されば此の経」の下は結勧。第二の釈の中に亦二。初めにを聞くこと(かた)し。次に値遇(ちぐう)すること難し云云。


                     つづく

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by johsei1129 | 2016-02-14 11:22 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)


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