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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 02月 04日

法華経題目抄 文段四 「疑い無きを信と曰う」


一 八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり

  問う、二句の不同如何(いかん)

  答えて云く、(およ)そ妙法蓮華経の五字は一切経の総要なり。故に「八万聖教の肝心」と云うなり。宗祖の所謂(いわゆる)(また)(また)一切経の肝心」とは是れなり。天台大師、毎日行法(ぎょうほう)の日記に云く「読誦(どくじゅ)し奉る一切経の総要、毎日一万遍」云云。玄師伝に云く「一切経の総要とは所謂(いわゆる)妙法蓮華経の五字なり」云云。

又此の妙法蓮華経の五字は三世諸仏の所証(しょしょう)の法なり。故に「一切諸仏の眼目」と云うなり。故に玄文第一に「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵(おうぞう)なり。三世諸仏の証得したもう所なり」文。

当に知るべし、此の文に(また)三大秘法を含むなり。(いわ)「本地」の二字は即ち本門の戒壇なり。是れ則ち本尊所住の地なり、故に「本地」と云う。(あに)戒壇に非ずや。「甚深」の二字は即ち本門の本尊なり。天台云く「実相(じっそう)を甚深と名づく」云云。「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如(じゅうにょ)」云云。故に知んぬ、「甚深」の二字は一念三千なり。(あに)本門の本尊に非ずや。「奥蔵」の二字は即ち本門の題目なり。是れ則ち題目に万法を含蔵(がんぞう)する故なり。故に知んぬ、三大秘法は三世の諸仏の所証の大法、一切諸仏の眼目なり。此れは是れ元意(がんい)の重なり。初学の知る所に非ず。(あお)いで之を信ずべし云云。

 

   十 八 日

 

一 正直(しゃ)方便等

  此の下は信心の勝得を明かすなり。

一 信を以て入ることを()

  問う、信の字の義、如何(いかん)

  答う、字彙(じい)に云く「(かく)(じつ)なり、疑わざるなり」云云。先ず外典の意は、多く実を以て信と名づくるなり。故に伊川(いせん)(てい)氏云く「実を以て之を信と()う」云云。徐氏云く「文に於て人の言を信と為す。(ものい)いて(まこと)ならずんば人と為すに非ず」云云。千字文の註上十五に云く「君子の道は期信を失わず。人に一諾(いちだく)を許さば千金にも移らず。()(ぶん)(こう)(げん)(ぱく)等の事の如し」云云。(しょう)(くん)の移木の信及以(および)尾生(びせい)が信等の如きは常の如し。仲尼(ちゅうじ)云く「人にして信無くんば其の可なることを知らず」云云。又云く「(きゅう)、食をば尚()つ可し、信をば去つべからず」云云。(およ)そ仁義礼智も信あらずんば立たず。左伝(さでん)の中に「信は国の宝なり」と云うは是れなり。(いわ)く、信を以て仁義礼智を行う(とき)は、君安らけく民豊かなる故なり。又五倫の道も信あらずんば成らず。臣軌(しんき)に「所謂(いわゆる)君臣信ぜずんば則ち国政安からず、父子信ぜずんば則ち家道(むつ)まじからず。兄弟(けいてい)信ぜずんば則ち其の情親しからず。朋友信ぜずんば則ち其の(まじわ)()え易し」云云。並びに是れ実を以て信に名づくるなり。妙楽大師の弘四末五十に「(こう)(きゅう)(ことば)尚信を以て(はじめ)と為す。(いわん)や仏法の深理をや。信無くして(むし)ろ入らんや」とは是れなり。

  次に内典の意は、随順(ずいじゅん)して疑わざる義なり。故に大乗法要論十八に云く「信とは何の義ぞ。(いわ)く、信順の義なり」云云。四教儀九六に云く「信は順従を以て義と為す」等云云。宝積(ほうしゃく)経百十八初に云く「又仏道を(した)う、(ゆう)()(いだ)かず。是れを信根と名づく」文。天台の文九に云く「(うたがい)無きを信と曰う」等云云。


                      つづく
目次



by johsei1129 | 2016-02-04 21:32 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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