【真間釈迦仏御供養逐状】
■出筆時期:文永七年(1270)九月二十六日 四十九歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は大聖人が富木常忍から自所領内に堂を建て、そこに釈迦仏を造立したとの便りを受けとり、「仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもて、果たしまいらせさせ給い候へ」と常忍の養子・伊予房(後の六老僧の一人日頂)に至急開眼供養をさせなさいと指示された内容になっております。
本書を記された文永七年は「竜ノ口法難」の一年前で、大聖人は未だ十界の曼荼羅御本尊は御図現なされておられず、信徒に本尊として釈迦仏の造立を許されておられます。しかしその釈迦仏の御六根に、法華経一部(二十八品)を読み入れることで生身の教主釈尊になるとし、本尊の開眼供養が必須であると本書で示されておられます。
尚、文中の「欲令衆生・開仏知見乃至然我実成仏已来」ですが、「欲令衆生開仏知見」は法華経方便品第二の偈で「衆生をして仏の知見を開かせしめる(仏界を開かせる)」という仏が娑婆世界に出現する一大事因縁について説かれており、「我実成仏已来」は法華経・如来寿量品第十六の偈(げ)で、釈尊が実はインドに誕生するはるか以前の久遠に南妙法蓮華経で成仏したことを示しております。
■ご真筆:現存しておりません。
【真間釈迦仏御供養逐状 本文】
釈迦仏御造立の御事、無始曠劫(むしこうごう)よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか。はせまいりて・をが(拝)みまいらせ候わばや。「欲令衆生・開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり。
但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもて・はた(果)たしまいらせさせ給い候へ。
法華経一部・御仏の御六根に読み入れ参らせて生身の教主釈尊になしまいらせて・かへりて迎い入れまいらせさせ給へ。自身並びに子にあらずば・いかんがと存じ候。
御所領の堂の事等は大進の阿闍梨がききて候。かへすがへす・をが(拝)み結縁しまいらせ候べし。
いつぞや大黒を供養して候いし、其後より世間なげかずしておはするか。此度は大海のしほ(潮)の満つるがごとく・月の満ずるが如く、福きたり・命ながく・後生は霊山とおぼしめせ。
九月二十六日 日蓮 花押
進上 富木殿御返事