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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 31日

報恩抄文段 下終 三箇の秘法広布の功徳は道善房の御身に帰すべし。若し爾らば、此等の功徳は又参詣の人々の御身にあつまるべきなり。


 第十二段 総 括

一 花は根にかへり

 清原(きよはら)(しげ)(ふじ)の詩に云く「花は根に帰ることを()ゆれども、悔ゆるに(やく)無けん」文。白花(びゃっか)(こう)()を点ずれば、来春は必ず其の花、処々に紅紫を点ず云云。()し紅紫を(もっ)(いろど)(とき)は、来春は其の花、紅紫の色に咲くなりと云云。(これ)を思え。

一 真味(しんみ)は土にとどまる。(注:平成新編は「真味」、御書全集は「(このみ)」と拝する)

 涅槃(ねはん)経第八に云く「薬の真味(とどま)りて山に()り」等云云。「花は根に」より下は一部の総括、御廻向(えこう)の文なり。三箇の秘法広布の功徳は(どう)善房(ぜんぼう)の御身に帰すべしと云云。

  第一に報恩抄全部講談の所以(ゆえん)、講談に三意有り

 一には、仏の本懐に(かな)わんが(ため)なり。筆削(ひっさく)一・三十三に云く「仏、教法を(とど)むる意は伝弘(でんぐ)して展転(てんでん)し、人を()して大果に至らしむるに()り。()伝演(でんえん)せざれば、仏の本懐に(さから)う」等云云。故に知んぬ、若し伝演する(とき)は、仏の本懐に称うことを。

  二には、()(こころざし)(まん)ぜんが為の故に。文の十・二二十八に云く「(ただ)願くは、大法をして(おお)()(せん)することを()せしめん乃至師の志なり」取意。一切(いっさい)の師、弟子を養育する其の志は大法をして弘宣することを()せしめんが為なり。我が師、別して此の志深きが故に云云。

  三には、報恩を(きわ)むるに()せんが為なり。大論に云く「仮使(たとい)頂戴(ちょうだい)して塵劫(じんこう)()、身を床座(しょうざ)()し、三千に(へん)ずるとも、若し法を伝えて衆生(しゅじょう)を利せざれば、畢竟(ひっきょう)()く恩を報ずること無き者なり」文。師匠(ししょう)を頂戴して塵劫を()、釈迦菩薩の如く身を床座とするとも、畢竟、恩を報ずること無し。()し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり。

第二に自我偈(じがげ)一万三千巻読誦(どくじゅ)の所以、自我偈を誦するに()いて亦三意あり。(なお)是れ助行なるのみ。

  一には、別して自我偈の功徳広大なるが故に。

法蓮抄十五・二十一に云く「自我偈の功徳は唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)乃能(ないのう)究尽(くじん)なるべし、()れ法華経は一代聖教(しょうぎょう)骨髄(こつずい)なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品(じゅりょうほん)を命とし十方(じっぽう)の菩薩も自我偈を眼目(げんもく)とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別(ふんべつ)功徳品(くどくほん)()せられたり、()の自我偈を聴聞(ちょうもん)して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵(みじん)の数をこそ・あげて候へ、()(うえ)薬王品(やくおうほん)已下(いげ)の六品得道のもの自我偈(じがげ)余残(よざん)なり」等云云。

  二には、十方の諸仏は自我偈を()として仏に成り給うが故に。

二十二・二十六に云く「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う、世界の人の父母の如し乃至之を(もっ)思うに田村(とし)(ひと)なんどの様なる(つわもの)を三千人()みたらん女人あるべし、()の女人を(かたき)とせん人は此の三千人の将軍をか()きに・うくるにあらずや、法華経の自我偈を(たも)つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし」文。

()()の女人一人を供養せば、三千人の将軍(みな)悦ぶ。此の自我偈を読めば、(すなわ)ち三世の諸仏は歓喜したまう者なり。

  三には、自我偈を(じゅ)せば則ち(まこと)の孝養に成るが故に。

 又二十三に云く「此の文字の数は五百十字なり、一一(いちいち)の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って乃至いかなる(ところ)にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか(おぼ)(しめ)す、我は()(なんじ)が子息・法蓮が毎朝(じゅ)する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん、手とならんとこそ・ねんごろに語らせ給うらめ、()(とき)・過去聖霊(しょうりょう)は我が子息・法蓮は子にはあらず、(ぜん)知識(ちしき)なりとて裟婆(しゃば)世界に向っておがませ給うらん、是こそ(まこと)の孝養にては候なれ」文。

第三に題目百五十万(べん)()(しょう)所以(ゆえん)、別して唱題の所以なり

 一には、仰いで祖師(そし)の金言を信ずるが故に。

 上の文に云く「一閻浮提(いちえんぶだい)に人ごとに()()無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」云云。

 上野抄に云く「今末法に入りぬれば余経も法華経もせん()なし、(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」云云。

 二には、題目は是れ成仏の種子なるが故に。

 本尊抄に云く「在世(ざいせ)の本門と末法の始は一同に純円なり、(ただ)(かれ)は脱、()れは(しゅ)なり、彼は一品(いっぽん)()(はん)此れは(ただ)題目の五字なり」云云。

 秋元抄に云く「三世(さんぜ)十方(じっぽう)の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」と云云。

  三には、題目一返(いっぺん)は一部の功徳に当るが故に。

十如是抄に云く「(これ)を信じて一遍(いっぺん)も南無妙法蓮華経と申せば法華経を(さとり)如法(にょほう)に一部をよみ奉るにてあるなり、十遍は十部・百遍は百部・千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり」等云云。

故に百五十万遍は百五十万部なり。千部(なお)広大なり。(いわん)や万部をや。万部(なお)(しか)なり、况や十万部をや。(いか)に况や百万部をや。何に况や百五十万部をや云云。

  (しか)れば則ち、此くの如き講談・()(きょう)・唱題の功徳を(もっ)て、報恩謝(ほうおんしゃ)(とく)(ため)に日永上人に供養し奉る。()(しか)らば、蓮祖(れんそ)()の秘法御弘通(ごぐつう)の功徳等、(どう)善房(ぜんぼう)御身(おんみ)(あつま)るが如く、皆(ことごと)く日永上人の御身にあつまるべきなり。又面々の参詣に()るの故に、()くの如き功徳を成就(じょうじゅ)す。若し爾らば、(これ)()の功徳は又参詣の人々の御身にあつまるべきなり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。




報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-31 07:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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