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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 25日

報恩抄文段 下二七

  
  初めに他方・本化(ほんげ)の前三()三とは

一には、他方は釈尊の(じき)(てい)に非ざる故に。()(じょう)義疏(ぎしょ)第十に云く「他方は釈迦の所化(しょけ)に非ざるが故に」云云文。多くは是れ分身(ふんじん)弟子(でし)なるべし云云。

 二には、他方の住国不同なるが故に。天台の文の九に云く「他方(おのおの)(おのずか)(おの)が任有り。()()()に住せば、()利益(りやく)(はい)せん」文。

 三には、他方は結縁(けちえん)の事浅きが故に。天台云く「他方は()の土に結縁の事浅し。宣授(せんじゅ)せんと(ほっ)すと雖も(かなら)()(やく)無けん」文。「巨」は大なり。

 一には、本化は釈尊の直弟なるが故に。経に云く「(ことごと)く是れ我が所化なり。今大道心(だいどうしん)(おこ)す」と。天台云く「是れ我が弟子、(まさ)に我が法を弘むべし」文。

 二には、本化は此の土に常住(じょうじゅう)するが故に。経に云く「(これ)()は是れ我が子、是の世界に()()す」文。

 太田抄に云く「地涌(じゆ)千界(せんがい)の大菩薩・一には裟婆(しゃば)世界に住すること多塵劫(たじんこう)なり」文。

 三には、本化は結縁(けちえん)の事深きが故に。天台、本化を釈して云く「縁(じん)(こう)なるを(もっ)()()の土に(へん)じて(やく)し、他方の身土に遍じて益せん」等云云。
 

  次に迹化(しゃっけ)・本化の前三後三とは
 

 一には、迹化は釈尊(みょう)()(そく)の弟子に(あら)ざるが故に。

 本尊抄二十一に云く「迹化の(だいしゅ)は釈尊初発心(しょほっしん)の弟子等に非ざる故なり」云云。

 二には、迹化は功を()むこと浅きが故に。

 新尼抄に云く「観世音(かんぜおん)乃至(やく)(おう)菩薩等の諸大士乃至(これ)()は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を(がく)する日あさし、学も(はじめ)なり、末代(まつだい)の大難(しの)びがたかるべし」云云。録外(ろくげ)十二・二十七紙なり。

 三には、迹化は末法に利生(りしょう)(まさ)(すくな)かるべきが故に。

 初心成仏抄二十二・十四に云く「(やく)(おう)菩薩・薬上(やくじょう)菩薩・観音(かんのん)勢至(せいし)の菩薩は正像(しょうぞう)二千年の御使(つかい)なり、(これ)()の菩薩達の御番(ごばん)(はや)(すぎ)たれば上古(むかし)の様に利生(りしょう)有るまじきなり、されば当世(とうせ)(いのり)御覧(ごらん)ぜよ、一切(かな)はざる者なり」。 

 一には、本化(ほんげ)は釈尊(みょう)()(そく)御弟子(みでし)なるが故に。

 本尊抄二十七に云く「地涌(じゆ)千界(せんがい)は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり」文。

 二には、本化は功と()むこと深きが故に。

 下山抄二十六・十八に云く「五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)より已来(このかた)、一向に本門寿量品の肝心(かんじん)を修行し習い給える上行(じょうぎょう)菩薩等の御出現(ごしゅつげん)時尅(じこく)相当(あいあた)れり」。(注:「五百塵点」から「習い給える」までの文は御書全集に拝せず。平成新編に拝す)

 三には、本化は末法の利生(さか)んなるべきが故に。

 初心成仏抄に云く「末法当時は乃至法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字(ばか)()の国に弘まりて()(しょう)得益(とくやく)もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」文。

 故に迹化(しゃっけ)・他方を(とど)め、但本地(ただほんち)()して之を譲り与えるなり。第三の義(おわ)んぬ。

四には、彼は時(きた)らざるが故に、()れは時(すで)に来れるが故に。(すで)に本化の菩薩に付嘱し(おわ)って、(まさ)しく流布(るふ)の時を指示して云く「後の五百歳の中に閻浮提(えんぶだい)広宣(こうせん)流布(るふ)す」云云。故に知んぬ、三()の秘法は末法流布の大白法(だいびゃくほう)なることを。何ぞ正像(しょうぞう)に於て之を()(つう)すべけんや。

撰時抄四・八に云く「天台(てんだい)大師云く『後の五百歳遠く妙道に(うるお)わん』(みょう)(らく)大師云く『末法の初め冥利(みょうり)無きにあらず』伝教(でんぎょう)大師云く『正像(やや)過ぎ(おわ)って末法(はなは)だ近きに有り』云云。(しか)るに天台・妙楽・伝教等は進んでは在世(ざいせ)法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退(しりぞ)いては滅後(めつご)・末法の時にも生れさせ給はず中間(ちゅうげん)なる事をなげかせ給いて末法の(はじめ)()ひさせ給う御筆なり(乃至)道心あらん人人は(これ)を見()きて(よろこ)ばせ給え、正像二千年の大王よりも後世(ごせ)をも()はん人人は末法の今の(たみ)にてこそあるべけれ、此を信ぜざらんや、()の天台の座主(ざす)よりも南無妙法蓮華経と(とな)うる癩人(らいにん)とはなるべし」文。

(しか)るに本迹(ほんじゃく)一致の弘通(ぐつう)(なお)是れ天台宗なり。


                      つづく

報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-25 21:13 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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