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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 24日

報恩抄文段 下二六

  三月二十五日

一 迦葉(かしょう)阿難(あなん)乃至伝教(でんぎょう)等の弘通(ぐつう)せさせ給はざる正法なり

  問う、(これ)()聖師(しょうし)、之を弘めたまわざる所以(ゆえん)如何(いかん)

  答う、(ここ)に四意有り。

  太田抄二十五・六に云く「一には自身()えざるが故に。二には所被(しょひ)()無きが故に。三には仏より(ゆず)(あた)えられざるが故に。四には時(きた)らざるが故なり」已上。

  故に知んぬ、(れん)()(これ)を弘通するに(また)四意あり。一には自身()く堪えたもうが故に、二には所被の機有るが故に、三には仏より譲り与うるが故に、四には時(きた)るが故に云云。



(せん)(しょう)未弘(みぐ)に対して、蓮祖弘通の所以(ゆえん)明かすべし



  一には、彼は堪えず、是れは能く堪うるが故に。

  本尊抄八・二十四に云く「観音(かんのん)乃至(やく)(おう)菩薩は乃至又爾前(にぜん)迹門(しゃくもん)の菩薩なり、本法(ほんぽう)所持(しょじ)の人に(あら)れば末法の弘法(ぐほう)()らざる者か」文。

「爾前迹門」とは、今日の迹本二門を通じて迹門(しゃくもん)と名づく。是れ(すなわ)ち迹中所説(しょせつ)の故なり。故に妙楽(みょうらく)云く云云。久遠(くおん)名字(みょうじ)の妙法を「本法(ほんぽう)」と名づくるなり。まさに知るべし、観音かんのんやくおう等は迹中の番々ばんばんに於て、迹本二門の説法を聞いて、く之を所持すといえども、いま文底もんてい秘沈ひちんの久遠名字の妙法の付嘱を受けず。何ぞ之を所持すべけんや。是れ則ち世々せせ番々ばんばんに於て付嘱せざるが故なり。

 (しか)るに本化(ほんげ)の菩薩は久遠名字の御弟子(みでし)にして、能く此の本法を受持し給えり。故に久遠名字已来(いらい)、本法所持の菩薩なり。故に此の法を弘むること、(なお)魚の水に()れ、鳥の虚空(こくう)自在(じざい)なるが如し。故に観音・薬王等は自身(すで)()えざるが故に之を弘めず。()(れん)()は自身能く堪うるが故に之を弘めたもうなり。

 二には、彼れは所被(しょひ)()く、()れは所被の機有るが故に。

 立正観抄三十八・六に云く「天台(てんだい)大師は霊山(りょうぜん)聴衆(ちょうしゅう)として如来出世(しゅっせ)本懐(ほんかい)()べたもうと雖も、時(いた)らざるが故に妙法の名字(みょうじ)()えて止観(しかん)と号す乃至正直(しょうじき)の妙法を止観と()きまぎらかす故に(あり)のままの妙法ならざれば帯権(たいごん)の法に()たり、故に知んぬ天台弘通(ぐつう)の所化の機は在世(ざいせ)帯権の円機(えんき)の如し、本化(ほんげ)弘通の所化の機は法華本門の直機(じっき)なり」と文。

 彼は(すで)に「帯権の円機」にして、是れ本門の直機に(あら)ず。何ぞ本門の大法を(さず)けんや。此れは是れ「法華本門の直機」なり。「直機」とは、(ただ)ちに本因下(ほんいんげ)(しゅ)の機なり。故に蓮師(れんし)は本因下種の要法、三()の秘法を弘めたもうなり。

 三には、彼は(ゆず)(あた)えず、此れは譲り与うるが故なり。

 本尊抄八・二十一に云く「所詮迹化(しょせんしゃっけ)他方(たほう)の大菩薩等に我が内証の寿量品(じゅりょうほん)(もっ)授与(じゅよ)すべからず、末法の(はじめ)(ほう)(ぼう)の国にして悪機(あっき)なるが故に(これ)(とど)めて地涌(じゆ)千界(せんがい)の大菩薩を()して寿量品の肝心(かんじん)たる妙法蓮華経の五字を以て(えん)()の衆生に授与せしめ給う」文。

 「内証の寿量品」とは(もん)底本因(ていほんにん)(みょう)の事なり。

 問う、何ぞ迹化(しゃっけ)・他方を(とど)めて、但本化(ただほんげ)のみを召すや。

 答う、天台(てんだい)(すで)に前三後三の六釈を作り、之を()して内鑑(ないがん)すと(いえど)も、末法に(ゆず)って明らかに之を釈せず。故に今、諸文の意に(じゅん)じて、明らかに之を会すべし。(いわ)く、他方・本化の前三後三、迹化・本化の前三後三なり。是れは(おく)(たく)(あら)ず。故に明文(みょうもん)を引く云云。



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by johsei1129 | 2016-01-24 03:36 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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