日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 20日

報恩抄文段 下二二


  次に義別の相を明かすとは

  (せん)二・五十八に云く「(あに)()の如き妙中の妙等の名を(もっ)て、()法体(ほったい)(さだ)んや。()の故に(すべから)く名の(しも)の義を以て之を簡別(かんべつ)すべし」云云。義例十に云く「豈名同(みょうどう)を以て法をして一概(いちがい)ならしめ、理を以て(えら)びて(けん)(ぶん)せしめんや」と云云。故に名通は是れ一往(いちおう)、義別は是れ再往(さいおう)なり。(注:甄分 明らかに分けること)

  守護章の中上十八に云く「()れ妙法に多種有り。浅智知り(がた)し。老子云く『妙を()んと(ほっ)すること無し』と、豈()ならんや。小乗教を(もっ)て外道教に(のぞ)むれば、小乗を妙と()す。小乗教に望むれば、権大乗を(もち)て妙法と為す。二乗を開する故に大乗に望むれば一乗教を以て(じん)(じん)の妙と為す」文。

  開目抄上六に云く「一代・五十余年の説教は外典(げてん)外道(げどう)に対すれば大乗なり大人(だいにん)実語(じつご)なるべし乃至(ただ)し仏教に入て五十余年の(きょう)(ぎょう)・八万法蔵を(かんがえ)たるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり乃至種種の差別あり、(ただ)し法華経(ばか)り教主釈尊の正言(しょうごん)なり三世(さんぜ)十方(じっぽう)の諸仏の真言なり」文。

  此の文の意は、()し一代を通じて妙法と名づくることは外道に対するが故なり。実に大小・権実、種々の差別有り。阿含(あごん)小乗を妙法を名づくるは、(また)外道に対するが故なり。実には是れ小乗にして麁法(そほう)の中の麁法なり。何ぞ是れ妙中の妙ならん。(ほう)(とう)般若(はんにゃ)の権大乗を妙法と名づくることは、(しばら)く小乗に望むが故なり。実には是れ(ごん)(きょう)麁法なり。迹門(しゃくもん)を妙法と名づくることは、二乗を開する故なり。未開(みかい)の権大乗に対するが故なり。実には是れ「()(とく)()()す」の麁法なり。

  問う、(まさ)しく本迹二妙の差別の相貎(そうみょう)如何(いかん)

  答う、迹門は開権(かいごん)(けん)(じつ)の妙法なり。(いわ)く、九界の権を開し、仏界の実を(あらわ)。故に(ただ)仏界の実にして(さら)に一句の余法無し。皆是れ仏界が家の十界なり。既に仏界が家の十界なる故に、界々(かいかい)()()(ゆう)(みょう)不可思議なり。故に妙法と名づくるなり。

  次に本門は開迹(かいしゃく)顕本(けんぽん)の妙法なり。謂く、迹門()(かく)の十界互具を開して、本門(ほん)(がく)の十界互具を顕す。故に(ただ)本門本覚の十界互具にして、更に一句の始覚の法無し。故に真の一念三千にして(ゆう)(みょう)不可思議なり。故に妙法と云うなり。()(しょ)(かい)を論ずれば、迹門は但九界を開し、本門は十界(とも)に開するなり。若し(しょ)(けん)を論ずれば、迹門は(ただ)始覚の仏界を顕わし、本門は本覚の十界(とも)に顕すなり。私志の一・七十三、十法界抄等云云。

  (まさ)しく文相(もんそう)(しょう)せば、開権(かいごん)開迹(かいしゃく)(こと)なりと(いえど)も、倶に是れ通じて妙法と名づく。故に如是我聞(にょぜがもん)(かみ)の妙法蓮華経の名に通じて一部八巻を(おさ)む。故に「肝心(かんじん)」と云うなり。此れは是れ名通(みょうつう)肝心の義なり。倶に妙法と名づくと雖も、開権・開迹(すで)に異なるなり。故に如是我聞の上の妙法蓮華経の義に別して一部八巻を収む。(いわ)く、開権顕実の(へん)は迹門十四品を(おさ)め、開迹顕本の辺は本門十四品を収む。故に「肝心」と云うなり。()は是れ義別肝心の義なり云云。

(まさ)に知るべし、文の(おもて)は名通なり、而して義別を(ふく)むなり。並びに是れ(じゅ)(ほう)付文(ふもん)の辺なり。次の功帰(こうき)を以て元意(がんい)()すなり。


                     つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-20 22:41 | 日寛上人 御書文段 | Comments(0)


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