三月十二日
初めに正義を明かすとは
「如是我聞の上の妙法」に略して二義あり。一には就法、二には功帰なり。
初めの就法に亦二意を含む。一には名通、二には義別なり。
記の八本四十に妙楽云く「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と文。「略して経題を挙ぐ」とは即ち是れ名通なり。「玄に一部を収む」とは是れ義別なり。故に籤の六本十六に云く「一部の始終二門を出でず」と文。籤の一本二十に云く「妙法の両字は通じて本迹を詮す」と文。「妙法」の両字は名通なり。「通じて本迹を詮す」は、豈義別に非ずや。
初めに広く名通の相を明かすとは
一には一代の妙法。提婆品に云く「広く衆生の為に妙法を説かん」文。補記八・二十六に此の文を釈して云く「通じて一代を指して倶に妙法と名づく」文。
二には阿含の妙法。中阿含の第三に云く「舎利子の所説は妙中の妙」文。浄名疏第二・二十二に云く「生滅の四諦を妙法と名づく。能く衆生をして故きを畢えて新しきを造らざらしむ。之を妙法と謂う」文。
三には方等の妙法。金光明経第六四天王品に云く「其の国土に於て此の経有りと雖も、未だ曽て流布せしめず乃至無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ、甘露の味わいに背き正法の流を失わしむ」文。
四には般若の妙法。文の八・三十三に大論七十九を引いて云く「般若は是れ三世の諸仏の妙法なり。当に知るべし、般若も亦妙法と称す」文。
五には迹門の妙法。籤の一末二十二に云く「若し権を開せざれば妙の名立たず」云云。具に玄文の第二巻より第六巻に至り、広く之を釈するが如し云云。
六には本門の妙法。玄の七・四十四に云く「発釈顕本の故に別して妙と称す」と文。妙楽云く「発とは開なり」と。亦玄文第七に略して之を釈するが如し。
つづく
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