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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 18日

立正安国論に先立ち「国土に大地震.非時の大風・大飢饉.大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を 知りて対治を加う可きの勘文」を記された書【災難対治抄】

【災難対治抄】
■出筆時期:正元二年(1260)二月 三十九歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は立正安国論に先立つこと約半年前に認められた書で、立正安国論の草稿とも言うべき書です。
本書を記された目的については大聖人は冒頭で「国土に大地震.非時の大風・大飢饉.大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知りて対治を加う可きの勘文」明確に示しておられ、本書で論じられた内容の大半はそのまま立正安国論に引き継がれておられます。
また本書のご真筆は富木常忍が開基した中山法華経寺に巻子一巻で完存していることから、弟子により書写されたあと富木常忍に送られたものと推察されます。
大聖人は本書を著せれた二年前に駿河の岩本実相寺で大蔵経(一切経)を読了し、その成果を翌年「守護国家論」として認められ、その後本書を著されております。そして半年後【立正安国論】を書き上げ国家諌暁に臨まれました。
■ご真筆:中山法華経寺(巻子一巻完存)所蔵(重要文化財)。
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[第一紙]


【災難対治抄 本文】

国土に大地震.非時の大風・大飢饉.大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知りて対治を加う可きの勘文。

金光明経に云く「若し人王有りて其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗(かつ)て流布せず捨離の心を生じて聴聞せんことを楽(ねが)わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆の持経の人を見て亦復尊重し乃至供養すること能(あた)わず、遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず。甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無らしむ悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に背かん。

世尊・我等四王並に諸の眷属及び薬叉(やしゃ)等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護(おうご)の心無けん、但我等是の王を捨棄するのみに非ず亦無量の国土を守護する諸天善神有らんも皆悉く捨去せん、既に捨離し已れば其の国に当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし。

一切の人衆皆善心無けん唯繋縛(けいばく)・殺害・瞋諍(しんじょう)のみ有つて互に相讒諂(ざんてん)し枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん、疫病流行し彗星数(しばし)ば出で両日並び現じ薄蝕恒無く黒白の二虹不祥の相を表わし星流れ地動き井の内に声を発し暴雨・悪風・時節に依らず常に飢饉に遭い苗実(みょうじつ)も成(みの)らず、多く他方の怨賊有つて国内を侵掠(しんりゃく)し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と。

大集経に云く「若し国王有つて我が法の滅せんを見て擁護せずんば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の中に三種の不祥の事を出さん、乃至命終して大地獄に生ぜん」と。

仁王経に云く「大王・国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、亦云く大王・我今五眼をもつて明に三世を見るに一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍うるに由つて帝王主と為ることを得たり、是をもつて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん 若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨て去ることを為さん若し一切の聖人去らん時は七難必ず起る」と。

仁王経に云く「大王吾今化する所の百億の須弥(しゅみ)・百億の日月・一一の須弥に四天下有り其の南閻浮提に十六の大国五百の中国十千の小国有り其の国土の中に七つの畏る可き難有り、一切の国王是の難の為の故に、云何なるを難と為す。日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出づ或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり、二十八宿度を失い金星.彗星.輪星.鬼星.火星.水星・風星・刁(ちょう)星・南斗.北斗.五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百宦(ひゃっかん)星是くの如き諸星各各変現するを二の難と為すなり。大火・国を焼き万姓焼尽し或は鬼火.竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火是くの如く変怪(へんげ)するを三の難と為すなり。

大水.百姓を漂没して時節返逆し冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹靂(へきれき)し六月に冰霜雹(ひょうそうばく)を雨らし赤水・黒水・青水を雨らし・土山・石山を雨らし沙礫石を雨らし江河逆(さかし)まに流れ山を浮かべ石を流す、是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。大風万姓を吹殺し国土の山河樹木.一時に滅没して非時の大風.黒風・赤風・青風.天風・地風・火風・水風.是くの如く変ずる時を五の難と為すなり。
天地国土亢陽(こうよう)し炎火洞然として百草亢旱(こうかん)し五穀登らず、土地赫然(かくねん)として万姓滅尽せん、是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。
四方の賊来りて国を侵し内外の賊起り火賊・水賊・風賊・鬼賊あつて百姓荒乱し刀兵劫起せん、是くの如く怪する時を七の難と為すなり」と。

法華経に云く「百由旬の内をして諸の衰患無からしめん」と。
涅槃経に云く「是の大涅槃微妙の経典・流布せらるる処は当に知るべし其の地は即ち是れ金剛なり。是の中の諸人亦金剛の如し」と。
仁王経に云く「是の経は常に千の光明を放ちて千里の内をして七難起らざらしむと、又云く諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く、其の王別えずして此の語を信聴し横に法制を作り仏戒に依らず、是を破仏破国の因縁と為す」と。

今之を勘うるに法華経に云く「百由旬の内諸衰患なからしむ」と仁王経に云く「千里の内に七難不起らしむ」と。
涅槃経に云く「当に知るべし其の地は即ち是れ金剛、是の中の諸人亦金剛の如し」と文。
疑つて云く今此の国土に種種の災難起ることを見聞するに所謂建長八年八月自り正元二年二月に至るまで大地震非時の大風・大飢饉・大疫病等種種の災難連連として今に絶えず、大体国土の人数尽く可きに似たり、之に依つて種種の祈請を致す人之多しと雖も其の験無きか、正直捨方便・多宝の証明・諸仏出舌の法華経の文の令百由旬内・雙林最後の遺言の涅槃経の其地金剛の文、仁王経の千里の内に七難不起の文皆虚妄に似たり如何。

答えて云く今愚案を以て之を勘うるに上に挙ぐる所の諸大乗経・国土に在り而も祈請と成らずして災難起ることは少し其の故有るか、所謂金光明経に云く其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗つて流布せず捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず、我等四王皆悉く捨て去り其の国当に種種の災禍有るべし、
大集経に云く「若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば其の国内三種の不祥を出さん」と、仁王経に云く「仏戒に依らざる是を破仏破国の因縁と為す若し一切の聖人去る時は七難必ず起らん」已上、此等の文を以て之を勘うるに、法華経等の諸大乗経・国中に在りと雖も一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起さざる故に国中の守護の善神・一切の聖人此の国を捨て去り、守護の善神聖人等無きが故に出来する所の災難なり。

問うて曰く国中の諸人・諸大乗経に於て捨離の心を生じて供養する志を生ぜざる事は何の故より之起るや。
答えて曰く仁王経に曰く「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん、其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず」と。

法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の心充満せん、是の人悪心を懐き国王・大臣・婆羅門・居士及び余の諸の比丘に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん。悪鬼其の身に入る」等と云云。
此等の文を以て之を思うに諸の悪比丘国中に充満して破国・破仏法の因縁を説く国王並に国中の四衆弁えずして信聴を加うるが故に諸大乗経に於て捨離の心を生ずるなり。

問うて曰く諸の悪比丘等国中に充満して破国・破仏戒等の因縁を説くことは仏弟子の中に出来す可きか、外道の中に出来す可きか。
答えて曰く仁王経に云く「三宝を護る者にして転(うた)た更に三宝を滅し破らんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず」文。此の文の如くんば 仏弟子の中に於て破国破仏法の者出来す可きか。               
問うて曰く諸の悪比丘正法を壊るに相似の法を以て之を破らんか当に亦悪法を以て之を破るべしとせんか、答えて曰く小乗を以て権大乗を破し、権大乗を以て実大乗を破し、師弟共に謗法破国の因縁を知らざるが故に破仏戒・破国の因縁を成して三悪道に堕するなり。
問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く、法華経に云く仏の方便・随宜所説の法を知らずして悪口して(顰蹙ひんしゅく)し数数擯出(しばしばひんずい)せられんと。
涅槃経に云く、我涅槃の後当に百千無量の衆生有つて誹謗して是の大涅槃を信ぜざるべし、三乗の人も亦復是くの如く無上の大涅槃経を憎悪せん已上。
勝意比丘の喜根菩薩を謗じて三悪道に堕ちし、尼思仏(にしぶつ)等の不軽菩薩を打つて阿鼻の炎を招くも皆大小権実を弁えざるより之起れり、十悪五逆は愚者皆罪為ることを知る故に輙(たやす)く破国・破仏法の因縁を成ぜず、故に仁王経に云く「其の王別えずして此の語を信聴す」と、涅槃経に云く「若し四重を犯し五逆罪を作り自ら定めて是くの如き重事を犯すと知り而も心に初より怖畏・懺悔無くして肯て発露せず」已上。
此くの如き等の文は謗法の者は自他共に子細を知らざる故に重罪を成して国を破し仏法を破するなり。

問うて曰く若爾らば此の国土に於て権教を以て人の意を取り実教を失う者之有るか如何、答えて曰く爾なり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く法然上人所造等の選択集是れなり。今其の文を出して上の経文に合せ其の失を露顕せしめん、若し対治を加えば国土を安穏ならしむ可きか、
選択集に云く「道綽禅師・聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文・初に聖道門とは之に就て二有り 一には大乗二には小乗なり大乗の中に就いて顕密・権実等の不同有りと雖も今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す。故に歴劫迂回(りゃっこううえ)の行に当る之に準じて之を思うに密大及以び実大を存すべし、然れば則ち今真言.仏心・天台・華厳・三論・法相.地論・摂論此等の八家の意正しく此れに在るなり。 
曇鸞法師の往生論の注に云く「謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)を案ずるに云く菩薩・阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り一には難行道二には易行道なり、此の中に難行道とは即ち是れ聖道門なり易行道とは即ち是れ浄土門なり、浄土宗の学者先ず須く此の旨を知るべし、設い先ず聖道門を学する人と雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てて浄土に帰すべし」文、 

又云く「善導和尚正雑二行を立て雑行を捨てて正行に帰するの文、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く、第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名く」
私に云く此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし、豈百即百生の専修正行を捨てて堅く千中無一の雑修雑行を執せんや、行者能く之を思量せよと。
又云く貞元入蔵録の中・始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで 顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし、当に知るべし、随他の前には暫く定散(じょうさん)の門を開くと雖も随自の後には還つて定散の門を閉づ一たび開きて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり文、又最後結句の文に云く「夫れ速に生死を離れんと欲せば 二種の勝法の中に且く聖道門を閣て選んで浄土門に入れ浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛て選んで正行に帰すべし、」已上選択集の文なり。

今之を勘うるに日本国中の上下万人深く法然上人を信じて此の書を挊(もてあそ)ぶ故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て浄土の三部経.阿弥陀仏より外は諸経・諸仏・菩薩.諸天善神等に於て捨閉閣抛等(しゃへいかくほう)の思を作し彼の仏経等に於て供養受持等の志を起さず還つて捨離の心を生ず、故に古の諸大師等の建立せし所の鎮護国家の道場零落せしむと雖も護惜建立(ごしゃくこんりゅう)の心無し。護惜建立の心無きが故に亦読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めざるが故に国を捨てて去り四依の聖人も来らざるなり、偏に金光明・仁王等の一切の聖人去る時は七難必ず起らん。我等四王皆悉く捨去せん既に捨離し已れば其の国当に種種の災禍有るべしの文に当れり。豈諸悪比丘多く名利を求め、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲の人に非ずや。

疑つて云く国土に於て選択集を流布せしむるに依つて災難起ると云わば此の書無き已前は国中に於て災難無かりしか、答えて曰く彼の時も亦災難有り、云く五常を破り仏法を失いし者之有りしが故なり、所謂周の宇文(うぶん)・元嵩(げんすう)等是なり。
難じて曰く今の世の災難五常を破りしが故に之起ると云わば何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや、
答えて曰く仁王経に云く「大王・未来の世の中に諸の小国王・四部の弟子諸の悪比丘横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず、亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴(ゆる)さず七難必ず起らん」と。

金光明経に云く「供養し尊重し讃歎せず、其の国に当に種種の災禍有るべし」
涅槃経に云く「無上の大涅槃経を憎悪す」等と云云、豈(あに)弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するを悉く雑行と名くると云うに当らざらんや、
 難じて云く仏法已前国に於て災難有るは何ぞ謗法の者の故ならんや、答えて云く仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり礼義を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり、問うて云く其の証拠如何、答えて曰く金光明経に云く「一切世間の所有(あらゆ)る善論は皆此の経に因る」と。 

法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と。
普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉(じゃおう)せず、是れを第三懺悔を修すと名く」と、
涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり、外道の説に非ず」と、
止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、広釈に云く「仏三人を遣して且く震旦を化す、五常以て五戒の方を開く、昔は大宰・孔子に問うて云く三皇五帝は是れ聖人なるか、孔子答えて云く聖人に非ず、又問う夫子是れ聖人なるか、亦答う非なり、又問う、若し爾らば誰か聖人なる、答えて云く吾聞く西方に聖有り釈迦と号く」文。

疑つて云く、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値(あ)えるや、答えて曰く金光明経に云く「枉げて辜無きに及ばん」と、法華経に云く「横に其の殃に羅る」等と云云、此等の文を以て之を推するに法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、信心薄く口に誦すれども其の義を知らず、一向名利の為に之を誦す、先生の謗法の失未だ尽きず、外に法華等を行じて内に選択の心を存す、此の災難の根源等を知らざる者は此の難を免れ難きか。

疑つて云く、若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法者の中に此の難に値わざる者之有りや、答えて曰く業力不定なり、順現業は法華経に云く此の人現世に白癩の病乃至諸の悪重病を得んと、仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く六親不和にして天神祐けず、疾疫悪鬼日に来りて侵害し災怪首尾し連禍せん」と、涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば、若は臨終の時或は荒乱に値い刀兵競い起り、帝王の暴虐・怨家の讎隙(あだすき)に侵逼せられん」已上、順次生業は法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。
 
仁王経に云く「人仏教を壊らば死して地獄餓鬼畜生に入らん」已上、順後業等は之を略す。
問うて曰く、如何にして速かに此の災難を留む可きや、答えて曰く速に謗法の者を治す可し、若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり。
問うて曰く如何が対治す可き、答えて曰く治方亦経に之有り、涅槃経に曰く仏言く唯一人を除いて余の一切に施せ正法を誹謗して是の重業を造る、唯此くの如き一闡提の輩を除いて其の余の者に施さば一切讃歎すべし已上、此の文の如んば施を留めて対治す可しと見えたり、此の外にも亦治方是れ多く具(つぶさ)に出すに暇(いとま)あらず、

問うて曰く謗法の者に於て供養を留め苦治を加うるは罪有りや不や、答えて曰く涅槃経に云く、今無上の正法を以て諸王.大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す、正法を毀(やぶ)る者は王者.大臣・四部の衆当に苦治すべし、尚罪有ること無けん已上。
問うて曰く汝僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや、答えて曰く涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」已上、予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚(はばか)からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す、此の道理を聞き解く道俗の中に少少は廻心の者有り、若し一度高覧を経ん人は上に挙ぐる所の如く之を行ぜずんば大集経の文の若し国王有つて我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん。乃至命終して大地獄に生ぜんとの記文を免かれ難きか。

仁王経に云く「若し王の福尽きん時は七難必ず起らん」と、此の文に云く「無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失す」等と云云、此の文を見るに且(しばら)く万事を閣いて先ず此の災難の起る由を勘う可きか、若し爾からざれば弥(いよいよ)亦重ねて災難起る可きか、愚勘是くの如し、取捨は人の意に任す。





by johsei1129 | 2016-01-18 21:20 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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