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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 16日

報恩抄文段 下十八

 
 是れは
如何(いか)にして負け給うぞ。国主の身として民の如くなる(よし)(とき)()たん事、(たか)(きじ)を取り、猫の(ねずみ)()らうにてこそ有るべきに、是れは猫が鼠に食われ、鷹が雉に取らるるようなり。(たと)い負け給うとも、一年、二年、十年、二十年も(ささ)うべき事なるに、五月十五日に発して六月十四日に打ち負け給いぬ。前後(わず)か三十余日の間、(あえ)なく打ち負け給う事は是れ(ただ)(ごと)に非ず。(ひとえ)に真言の悪法を(もっ)調伏(じょうぶく)し給うが故に「還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)」の()(まぬ)かれざるが故なり。

 (そもそも)調伏(じょうぶく)行者(ぎょうじゃ)天台(てんだい)座主(ざす)()(えん)僧正(そうじょう)、真言の長者、仁和寺(にんなじ)御室(おむろ)園城寺(おんじょうじ)長吏(ちょうり)、総じて七大寺・十五大寺の貴僧・高僧等四十一人、智慧戒行は日月(にちがつ)の如く、秘法は()(かく)智証(ちしょう)の心中深秘(じんぴ)の大法、十五壇の秘法なり。
 此の法の詮は、国敵・王敵と
()る者を降伏(こうぶく)して命を()()り、其の(たましい)(みつ)(ごん)浄土(じょうど)(つかわ)すと云う法なり。其の外(ばん)(そう)三百余人、四月十九日より六月十四日に至るまで(あせ)を流し(なづき)(くだ)きて行じき。
 最後には、御室
紫宸殿(ししんでん)にして日本国に渡っていまだ二度とも行わざる大秘法を六月八日に初めて行ぜし(ほど)に、同じき十四日に関東の軍勢(ぐんぜい)、宇治・勢多を(おし)(わた)って洛陽に()()り、三院を()()り、九重(こ此のえ)に火を放って一時に焼失す。三院を三箇国へ流し、()(ぎょう)七人は(たちま)ちに首を切り、勢多伽(せいたか)(まる)をも(つい)には首を切られたり。御室は思いに()えずして終に死す。母も同じく(おも)(じに)に死せり。(たまたま)生きたるも甲斐(かい)なし。

すべて此の祈りを(たの)みし人、幾千人と云う事を知らず死したり。御室(おむろ)の祈りを始め給いしは、六月の八日より同じき十四日に至るまで、中を(かぞ)うれば七日に()つる日なり。一日二日だにも(ささ)()ねて(ただ)一日の合戦(かっせん)()()け給う事は、(あに)真言の悪法を以て之を調(じょう)(ぶく)せし故に(あら)ずや。故に「調伏のしる()還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)のゆへとこそ見へて候へ」と云うなり。


                   つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-16 14:27 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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