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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十五 「慧亮(えりょう)脳を破りし時・次弟(じてい)位に即き、相応加持する時・真済(しんぜい)の悪霊伏せらるる」


一 
真済(しんぜい)が自記なり信じがたし、(また)邪見者が等

 「真済」は弘法第一の弟子(でし)柿本(かきのもと)(きの)僧正(そうじょう)是れなり。而して(そめ)殿(どの)(きさき)を見て(はなは)だ其の色に(まど)う。(のち)死霊(しりょう)に成り、(つい)には天狗(てんぐ)と成る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり。此の人の日記は信じ難し。邪見(じゃけん)の者の所述なるが故なり。

 真言天台勝劣抄三十五・九に云く、「真言宗を法華経の行者(ぎょうじゃ)に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く乃至()(りょう)(のう)を破りし時・次弟(じてい)(くらい)()き、相応(そうおう)加持(かじ)する時・真済(しんぜい)の悪霊(ふく)せらるる等(これ)なり」文。

 釈書の十二・二十に云く「慧亮は叡山(えいざん)(えん)(ちょう)の徒なり。兼ねて()(かく)()く」等云云。
 源平盛衰記の三十二・十七に「
(もん)(とく)天皇の御子(みこ)第一の(みや)(これ)(たか)、御母は()兵衛(ひょうえの)佐名(すけな)(とら)(むすめ)なり。第二の宮は(これ)(ひと)、御母は太政(だじょう)大臣(だいじん)良房(よしふさ)(ちゅう)(じん)(こう)の御(むすめ)(そめ)殿(どの)(きさき)と申す是なり。兄弟(とも)御位(みくらい)を心にかけらる。第一の御祈(おんいのり)の師は真済(しんぜい)、第二の宮の御祈の師は慧亮なり。(つい)に力士の相撲(すもう)()けらる。名虎は今年三十四、太く(たくま)しく七尺(ばか)りの男にて、六十人の力あり。(よし)()は小男、行年二十一、なべての力人(ちからびと)とは聞ゆれども、名虎に対すべきにはあらず。名虎は(まつ)の如く、能雄は(ふじ)の如しと云云。慧亮剣を()き、脳を()(やぶ)り、香の(けむり)に燃ゆる時、大威徳(いとく)の乗り給える水牛、爐壇(ろだん)を三度(めぐ)って声を()げて()えたりける。()の声大内(おおうち)に響きければ、能雄に力ぞ付きにける。名虎(なとら)は其の声を聞いて身の力落ち、(もう)(ねん)として名虎相撲にまけにける」等云云。

 「相応(そうおう)加持(かじ)する時・(しんぜい)悪霊伏(あくりょうふく)せらるる」等とは、神社考の四・十三に云く「文徳帝の天安(てんあん)二月八月不予(ふよ)なり。真済看待(かんたい)す。升遐(しょうか)の後、志を(うしな)いて隠居(いんきょ)す。先には()(りょう)(こう)(けん)して()け、(ここ)に至って(いよいよ)(かい)(かい)たり。世に言く、真済(しんぜい)(そめ)殿(どの)(きさき)を見て、迷いて平らかならざるなりと。(じょう)(がん)二年二月、年六十一、(つい)に死して(すだま)と為る」云云。

 釈書の十・三に云く「染殿の后、狂疾(きょうしつ)を受けて数か月を()。后(たく)て云く『諸仏の出世に非ざるよりは(たれ)()く我を(くだ)さんや』と。相応、明王に懇祈(こんき)す。明王(いち)(おう)(そむ)くと(いえど)も、(かさ)ねて()げて云く『(なんじ)(ひそ)かに彼の霊に(かた)れ、(なんじ)(あに)真済の霊に非ずやと。彼聞けば必ず(こうべ)()れん。()(とき)大威徳の(じゅ)(もっ)()せよと。次の日、(おしえ)の如くして彼の霊を(こう)(けん)す。(きさき)の病即ち()ゆ」と云云。

 羅山文集の六十三・二十一に云く「真済(しんぜい)色に(まど)う。死して天狗(てんぐ)()る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり」文。

私に云く、伊豆の国熱海(あたみ)()僧正(そうじょう)のほこらあり。亦都松と云う松あり。是れ(そめ)殿(どの)(きさき)のしるしの松なり。(えだ)(みやこ)に向えり。此の故に都松と名づくるとなり。


つづく


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by johsei1129 | 2016-01-15 20:45 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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