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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 15日

善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず、国により人により時により、やうやうにかわりて 候、と説かれた【窪尼御前御返事】

【窪尼御前御返事】

■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十二月二十七日  六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人が御遷化なされる十ヶ月前に認められた消息です。
大聖人はこの年の冬の厳しさについて文中で「としのさむき(寒き)事生れて已来いまだおぼへ候わず、ゆき(雪)なんどのふりつもりて候事おびただし。心ざしある人も、とぶ(訪)らひがたし」と記されておられます。
その中で窪尼は、恐らく新年を迎えるための数多くの品々を身延山中の大聖人の元へ届けられたと思われ、その志を大聖人は冒頭で「善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず、国により人により時により、やうやうにかわりて候」と善根について分別されるとともに「此れは日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候」と称えられておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)。

【窪尼御前御返事 本文】

しなじなのものをくり給て候。
善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず・国により人により時により・やうやうにかわりて候。
譬へばくそをほして・つきくだき・ふるいてせんだん(栴檀)の木につくり・又女人・天女・仏につくりまいらせて候へども火をつけて・やき候へばべちの香なし・くそくさし、そのやうに・ものをころし・ぬすみをしてそのはつを(初穂)をとりて功徳善根をして候へども・かへりて悪となる。
須達長者と申せし人は月氏第一の長者ぎをん精舎をつくりて仏を入れまいらせたりしかども彼の寺焼けてあとなし。
この長者もといを(魚)を・ころしてあきなへて長者となりしゆへに、この寺つゐにうせにき。
今の人人の善根も又かくのごとく・大なるやうなれども・あるひは・いくさをして所領を給(たび)、或はゆへなく民をわづらはして・たからをまう(儲)けて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども仏にもならざる上、其の人人あともなくなる事なり。

又人をも・わづらはさず我が心もなをしく我とはげみて善根をして候も仏にならぬ事もあり。いはくよきたね(種)をあ(悪)しき田にうえぬれば・たねだにもなき上かへりて損となる。まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。

此れは日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候。

抑(そもそも)今年の事は申しふりて候上、当時はとしのさむき事生れて已来いまだおぼへ候わず、ゆきなんどのふりつもりて候事おびただし、心ざしある人もとぶらひがたし、御をとづれ、をぼろげ(注)の御心ざしにあらざるか、恐恐謹言。

十二月二十七日 日 蓮 花 押
くぼの尼御前御返事

注[をぼろげ]:普通を意味し、「をぼろげの御心ざしにあらざるか」で普通でない、格別の志であろうとの意になります。




by johsei1129 | 2016-01-15 19:05 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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