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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 14日

報恩抄文段 下十三

一 天台(てんだい)云く。

 (げん)三・四十三。

一 感応(かんのう)斯の若し等

 (せん)二・十二。

一 天台乃至須臾(しゅゆ)に甘雨を降せ等

 (とう)()六・二十一。

一 伝教(でんぎょう)大師の三日が内に甘露(かんろ)の雨をふらし。

 一心戒文の上十に「(ちょく)を受け、二十六日より二十八日まで」等云云。

    三月十九日

一 左史(さし)右史(うし)

 礼記(らいき)に云く「動は(すなわ)ち左史(これ)を書し、言は則ち右史之を書す」文。玄宗(げんそう)の大史官の事は、太平の三十五・十八。

一 (たと)()せたりとも信じがたき事なり

 一には(さき)の二十九(こう)の間無事(ぶじ)なるが故に。二には(のち)にあるべしと内典(ないてん)外典(げてん)(しる)さざる故に。

一 東西北の三州は如何(いかん)

 南州の夜中は北州の日中なり。東州は日出(ひので)、西州は日没(にちぼつ)なり。()し南州の夜中に日輪(にちりん)出現せば、北州は夜中と()り、東州は日没と成り、西州は日出と成る。如何(いかん)()くの如き事有らんや。

一 (たと)内外(ないげ)の典籍に記せずとも

 意に云く、設い内外典に未来(みらい)の夜中に日輪現ずべしと記せずとも、現に諸家の日記有らば、(あるい)は信ずる辺もあるべし云云。

一 されば霊山(りょうぜん)にして法華経は戯論(けろん)

  若し(じゅ)()()って心経を聞かば、亦(まさ)に法華経をも聞くべし。若し(しか)れば、法華は()、大日経は真実と仏()かせ給いしや等云云。破記の一・二十五は不可なり。諫迷(かんめい)の二・六十八云云。

一 婬女(いんにょ)

  上東門院(じょうとうもんいん)(つか)えて和歌の名を得たる和泉式部(いずみしきぶ)が事なり。是れは頼光(よりみつ)の家臣平井(ひらい)(やす)(まさ)が妻なり。

  問う、何ぞ「婬女(いんにょ)」と云うや。

  答う、(ほぼ)(かんが)うるに、(しゃ)(せき)五・二十五に「稲荷詣(いなりもうで)の時の童歌(わらべうた)に、(しぐれ)する稲荷の山の紅葉(もみじば)は あをかりしより思いそめてき」云云。「()()れてけり」云云。

  神社考三・二十一に云く「(どう)(みょう)、経を(じゅ)す。()(こえ)妙なり。僧たりと(いえど)(はなは)だ色を好む。一夕(いっせき)、和泉式部に通ず。(あかつき)(およ)び経を誦す。夢に一(ろう)(おう)(きた)りて聞く。『誰ぞや』『(われ)は五条の西の洞院(とういん)()む。師、経を誦する時、諸神来たって聞く。今宵(こよい)不浄(ふじょう)にして誦す。故に諸神(きた)らず。(われ)其の(すき)(うかが)い、(ここ)に来たれり』」云云文。是れは五条の天神なり。

  (やす)(まさ)(かつ)て道命に通ずるを聞き、道命を()たんと(ほっ)す。式部(しきぶ)(はし)を五つに折って之を(つかわ)す。道命(あん)じて云く「やる()()を・まことはし(◦◦)して・来はし(◦◦)して・うたれはし(◦◦)して・くやみ()()すな」と云云。

  問う、道命の事、虚実(こじつ)如何(いかん)

  答う、釈書の十九六に云く「道命は藤原(みち)(つな)の第一の男なり。()(けい)(つか)う。(はち)(じく)を八年に誦す。嵯峨(さが)法輪寺(ほうりんじ)に居せしむ。常に諷誦(ふじゅ)(つと)む。一の僧夢みらく蔵王(ざおう)熊野(くまの)住吉(すみよし)松尾(まつお)来って聞くと。僧()めて(これ)を聞く。道命(たまたま)寿量品を誦す。僧礼を()し夢を()く。又寡婦(かふ)あり、狂を()む乃至法輪寺に()いて経を聞く。又託して云く『(まさ)に天上に(しょう)ずべし』」等と。又(みょう)の寂後、親友有りて命の生ずる(ところ)を思う。夢みらく大河の(ほとり)蓮池(はすいけ)あり。池中に船に乗り経を誦す。(かた)って云く『我出家(しゅっけ)すと雖も、三業(さんごう)(つつし)まず、多く(きん)(かい)(おか)し、四天王寺を営むとき、僧物(そうもつ)犯用(はんよう)す。()くの如き(しゅ)(ざい)浄土(じょうど)()ず。(しか)経力(きょうりき)()って(あく)(しゅ)()せず、二三年を過ぎて、(まさ)兜率(とそつ)に生ずべし』と」云云。既に「三業(さんごう)(つつし)まず、多く禁戒を(おか)す」云云。故に知んぬ、此の事、虚説(こせつ)(あら)ざるか。

(しゃ)(せき)十・八に云く「和泉(いずみ)式部(しきぶ)(やす)(まさ)にすさめられて、()るかんなぎをやとい、敬愛(きょうあい)の法を行う」云云。「ちはやぶる神のみるめも(はずか)しや 身を思うとて身をやすつべき」云云。婬女なる事、(もっと)分明(ふんみょう)なり。(しか)れども旱魃(かんばつ)の時、歌を()みて雨を()らせしなり。「ことわりや日の(もと)なればてりもせめ ふらずばいかに(あめ)(した)とは」

                       つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-14 22:09 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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