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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 19日

上行菩薩を上首として娑婆世界の下方から湧出した(地涌の)菩薩こそが末法の法華経弘通を付属された ことを示した書【下方他方旧住の菩薩事】

【下方他方旧住の菩薩事】
■出筆時期:文永九年(1272) 五十一歳御作
■出筆場所:佐渡にて。
■出筆の経緯:本抄は佐渡流罪中に認められた書と思われ、ご真筆の冒頭余白に富木常忍が「下方他方旧住菩薩事不弘本門事」と記して保存されておられます。
大聖人は本書で霊鷲山での釈尊の法華経の説法の場に参集した諸菩薩を、下方(げほう・地涌の菩薩)、他方(娑婆世界以外から参集した菩薩)、旧住(くじゅう・娑婆世界に住んでいた文殊師利菩薩・弥勒菩薩等)の三種の菩薩に分別し、下方(地涌の菩薩)のみに末法の法華経弘通を付嘱されたことを示しおられます。
おそらく本書は佐渡で著された人本尊開顕の書「開目抄」の理解を深めるために、信徒教化のためを目的として認められたと推察されます。
■ご真筆:中山法華経寺(四紙)所蔵(重要文化財)。
上行菩薩を上首として娑婆世界の下方から湧出した(地涌の)菩薩こそが末法の法華経弘通を付属された  ことを示した書【下方他方旧住の菩薩事】_f0301354_19250619.jpg















[ご真筆第一紙:真筆本文下記緑字箇所]


【下方他方旧住の菩薩事 本文】

 文句の九に云はく
        
            | -----過八恒河沙(ごうがしゃ)等
            |
            |  |-文珠(もんじゅ)等の八万なり
菩薩に三種有り。下方・他方・旧住              
            |   |- 弥勒(みろく)等
            |
            |------亦観音等、他方の内なり。普賢は如何。   
        

 文句の九に云はく「是我が弟子なり、応に我が法を弘むべし」と。記の九に云はく「子、父の法を弘むるに世界の益(やく)有り」と。
 文句の九に云はく「又他方 観音等は他方か は此の土に結縁(けちえん)の事浅し」文。
 道暹(どうせん)の輔正記(ふしょうき)の六に云はく「付嘱 記の六の付嘱に下有り此有り法華・涅槃の十六異を釈すなり とは此の経は唯下方(げほう)涌出の菩薩に付す。何が故ぞ爾(しか)る。法は是(これ)久成の法なるに由るが故に・久成の人に付す」と。
 記の四に云はく「尚偏(ひとえ)に他方の菩薩に付せず。豈独り身子(しんし※注1)のみならんや」と。

 竜樹・天親・南岳・天台・伝教等本門を弘通せざる事
 一には付嘱せざるが故に。二には時の来たらざるが故に。三には迹化他方なるが故に。四には機未だ堪(た)へざる故に。
 
 竜樹は迹門の意を談宣し、天親は文に約して之を釈し、化導(けどう)の始終を明かさず。天台大師は本迹の始終を弘通す。
 但し本門の三学は未だ分明(ふんみょう)ならざるか。

 記の八に云はく「因薬王等とは本(もと)薬王に託し、茲(ここ)に因せて余に告ぐ。
此の流通の初めに先づ告(ごう)八万大士とは・大論に云はく、法華は是秘密なれば、諸の菩薩に付す。今下(しも)の文に下方(げほう)を召すが如きは尚(なお)本眷属を待つ。験(あきら)けし、余は未だ堪へざることを」と。

 大論の一百に云はく「問うて曰く、更に何の法が甚深にして般若に勝(まさ)るゝ者有ってか般若を以(もっ)て阿難に嘱累(ぞくるい)し・余経をもって菩薩に嘱累すること有りや。
 答へて曰く、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は秘密の法に非ず。而して法華等の諸経に阿羅漢の受決作仏(じゅけつさぶつ)を説くは・大菩薩のみ能く受持し用ふること、譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」と。

 竜樹菩薩は迹化・他方なるか、旧住(くじゅう)なるか、地涌なるか。
 南岳 観音、感通伝に出づ 天台 薬王、感通伝に出づ 伝教も亦是くの如し。
 
 大論(※注2)の一百[大品経・嘱累品を釈するなり。大品経は四十巻九十品、大品経は阿難に付嘱す、最後は嘱累品なり] に云はく「問うて曰く、若し爾らば法華経諸余の方等経・何を以て喜王[喜王とは薬王か] 諸菩薩等に嘱累(ぞくるい)するや」と。
 記の八に云はく「法華は是秘密なれば諸の菩薩に付す。今下の文に下方を召すが如きは尚本眷属を待つ。余は未(いま)だ堪(た)へざることを」云云。[文殊・薬王等も未だ堪へず等と云ふか]
 
 涅槃経の三に云はく「若(も)し法宝を以て阿難及び諸の比丘に付嘱せば久住することを得ず。何を以ての故に。一切の声聞及び大迦葉(だいかしょう)は悉(ことごと)く当(まさ)に無常なるべし。彼の老人の他の寄物(きもつ)を受くるが如し。是の故に応(まさ)に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし。諸の菩薩は善能(よく)問答するを以て是くの如き法宝は則ち久住することを得て・無量千世(せんぜ)に増益熾盛(ぞうやく・しじょう)にして衆生を利安せん」と。


注1[身子]:釈迦十大弟子の一人で、智慧第一とされた舎利弗( Sāriputta サーリープッタ:梵語)の漢訳。
 法華経方便品第二、譬諭品第三の対告衆(たいごうしゅう)。釈尊は譬諭品第三で、舎利弗に未来世で華光如来となるとの記別を与え、法華経以前に説いていた、二乗(声聞・縁覚)は小さな悟りで満足する故、仏になることはないという言を自ら破している。
注2 [大論(大智度論)]:仏教大乗経・中興の祖竜樹による「摩訶般若波羅蜜経」の疏(注釈書)。 妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什が、本書も全100巻を漢訳している。




by johsei1129 | 2019-10-19 11:59 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)


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