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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 08日

報恩抄文段 下七


  第九段 真言の
誑惑(おうわく)を破す

一 (ほう)滅尽(めつじん)(きょう)に云く等

此の下は次に真言責破(しゃくは)、亦二と()す。初めに証前起後(しょうぜんきご)、次に「()の例」の下は、(まさ)しく真言責破。初めの証前起後、亦二と為す。

初めに前を証し、次に「問うて云く」の下は起後。初めの証前、(また)二と為す。初めに文を引き、次に「此の経文」の下は釈。初めの証前と云うは、(まさ)しく(ただ)(れん)()一人のみ法華の行者なることを証し、()ねて(ほい)(ぼう)の者国中に充満(じゅうまん)することを証するなり。

文に云う「法滅尽経に云く乃至()しは一、若しは二」等とは、

問う、本経の文に云く「()(はつ)涅槃(ねはん)の後、法滅せんと(ほっ)する時、()逆濁世(ぎゃくじょくせ)」等云云。(すで)に「法滅せんと欲する時」と云う。像法(ぞうほう)(おわ)りを説くの文なり。故に伝教(でんぎょう)大師此の経文を引き、(まさ)しく像法の終りなることを証するなり。故に(けん)戒論(かいろん)下五に云く「時を知り山に住するの明拠を開示す。(ほう)滅尽(めつじん)(きょう)に云く『()(はつ)涅槃(ねはん)(のち)乃至悪人(うたた)多くして海中の(いさご)の如く、善者(はなは)だ少くして()しは一、若しは二ならん乃至三乗は山に入り、福徳の地に恬怕(てんぱく)として自ら守り、(もっ)欣快(きんかい)()す』已上経文。今(すで)に時を知る、誰か登山せざらんや」等云云。(注:恬怕(てんぱく)=静かにして安らかなること。恬は静かの意。欣快=喜んで心地良いこと)故に知んぬ「若しは一若しは二」とは、正しく像法の終り、伝教(でんぎょう)()(しん)等の御事なり。(なん)ぞ末法今時(こんじ)(れん)()の事とせんや。

答う、実に所問の如く、像法の終りを説くなり。例せば安楽(あんらく)行品(ぎょうほん)三処(さんしょ)の「末世(まっせ)の法滅せんと(ほっ)時」の文の如し。伝教大師の云く「正像(やや)過ぎ(おわ)って末法(はなは)だ近きに有り。故に安楽行品に云く『末世法滅の時』と」と云云。(しか)るに今(しょ)()の意は、()の時の行事、(すで)に末法に同じき故に、又像法の終りすら(なお)善人は「若しは一、若しは二」なり。(いわん)や末法の始めをや。故に末法の事を引証するなり。

問う、(ほう)滅尽(めつじん)(きょう)の説時は如何(いかん)

答う、此れ(すなわ)()(げん)涅槃(ねはん)の中間に之を()くなり。故に「()くの如く聞けり、一時仏、拘夷那(くいな)(かつ)(こく)()り、如来、三月(みつき)あって(まさ)般涅(はつね)(はん)すべし」云云。啓蒙(けいもう)十四・七十三に之を引く。

問う、彼の経の中の文に云く「沙門(しゃもん)袈裟(けさ)自然(じねん)(びゃく)に変ず」云云。此の文は法滅の相を明かすとせんや。

答う、(しか)らず、(まさ)しく白法(びゃくほう)流布(るふ)の前相を明かすの文なり。(つぶさ)()文段(もんだん)要解(ようげ)の如し。


                   つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-08 22:35 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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