日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2016年 01月 06日

蒙古からの国書到来を受け幕府要人宿屋入道に執権北条時宗との見参を迫った書【宿屋入道許御状】

【宿屋入道許御状】
■出筆時期:文永五年(1268年)八月二十一日 四十七歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を宛てられた宿屋左衛門入道は鎌倉幕府の重鎮で寺社奉行を勤めており、鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』巻五十一には下記の通り、第五代執権北条時頼の臨終の際、出入りを許された七人の中に宿屋左衛門の名が見られます。
----------------------------------------------------------------------------------
[吾妻鏡 巻五十一] 弘長三年
十一月二十日 丁酉
  早旦北殿に渡御す。偏に御終焉の一念に及ぶ。昨日厳命を含むの両人、固くその旨を
  守り人々の群参を制禁するの間、頗る寂寞たり。御看病の為六七許輩祇候するの外人
  無し。所謂、武田の五郎三郎・南部の次郎・長崎次郎左衛門の尉・工藤三郎左衛門の
  尉・尾籐太・宿谷左衛門の尉・安東左衛門の尉等なり。
------------------------------------------------------------------------------------
大聖人は幕府の宗教政策、他宗派の動向に関する情報は、この宿屋入道から主に得ていたのではと推察されます。また立正安国論を北条時頼に献上する際も宿屋入道を通じて行っており、本状を記された文永五年の一月十八日には蒙古国から牒状が鎌倉幕府に到来、立正安国論で予言した「他国侵逼難」が現実になった事態を受け、本状にて宿屋入道に対し「君の為、国の為、神の為、仏の為、(執権北条時宗への)内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候」と迫られておられます。

尚、本状を記される四ヶ月ほど前の四月五日には法鑒御房(平頼綱の実父)に【安国論御勘由来】を送り「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず。復禅門(宿屋入道)に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し」と、宿屋入道との対面を依頼されておられます。しかし宿屋入道からの回答はなく、九月には【宿屋入道再御状】を送り、最終的に十月十一日、書状をしたため北条時宗他幕府要人、鎌倉の諸寺院計十一箇所に日興上人始め弟子達により直接届けられます。この書が後に【十一通御書】と称されております。
■ご真筆:現存しておりません。

【宿屋入道許御状 本文】

其の後書絶えて申さず、不審極まり無く候。
抑去ぬる正嘉元年丁巳 八月二十三日戌亥の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘へたるに、念仏
宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作して起こす所の災ひなり。
 
若し此を御対治無くんば、他国の為に此の国を破らるべきの由、勘文一通之を撰し、正庚申七月十六日、御辺に付け奉りて故最明寺入道殿へ之を進覧す。
其の後九箇年を経て、今年大蒙古国の牒状之有る由風聞す等云云。経文の如くんば、彼の国より此の
国を責めん事必定なり。

而るに日本国中、日蓮一人彼の西戎を調伏すべきの人に当たり、兼ねて之を知り論文に之を勘ふ。
君の為、国の為、神の為、仏の為、内奏を経らるべきか。
委細の旨は見参を遂げて申すべく候。恐々謹言。

文永五年八月二十一日    日蓮 花押
宿屋左衛門入道殿





by johsei1129 | 2016-01-06 21:28 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/24840166
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< GOSHO 立正安国論73 斬...      報恩抄文段 下四  日本国中に... >>