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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 09月 19日

浄土僧・行敏が大聖人を召しい出そうと幕府へ提出した「訴状」を完璧に破析した【行敏訴状御会通】

【行敏訴状御会通】
■出筆時期:文永八年(西暦1271年)七月 五十歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:大聖人との「降雨の対決」に敗れた極楽寺良観の意を受けた浄土僧・行敏から文永八年七月八日、法論の果たし状が大聖人のもとに届きます。それに対し大聖人は七月十三日【行敏御返事】をしたため「行敏との私的対決ではなく公場での法論にて決すべきであろう」と返答します。
その後行敏は、幕府問註所に訴状を提出。本抄はその訴状に対する回答書の草案であろうと思われます。
 大聖人は本書で「訴状」の主体は行敏ではなく、極楽寺良観・念阿弥陀仏・道阿弥陀仏であると喝破し、下記の通り完璧に破析されておられます。
 行敏の「訴状」の要点は、1.「日蓮偏えに法華一部に執して諸余の大乗を誹謗す」
2.「年来の本尊・弥陀観音等の像を火に入れ水に流す等」ですが、1.については「道綽禅師云く<略>唯浄土の一門のみ有つて路に通入す可し云云。善導和尚云く千中無一云云。法然上人云く捨閉閣抛(しゃへいかくほう)云云」と念仏僧の道綽、善導、法然こそ、浄土の一門に執しているではないかと破析し、「法華経一部を讃歎するは釈尊の金言なり、諸仏の傍例なり。敢て日蓮が自義に非ず」と断じられておられます。
 さらに2.に対しても「此の事慥(たしか)なる証人を指し出し申す可し。若し証拠無くんば良観上人等自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し、科(とが)を日蓮に負せんと欲するか。委細は之を糾明せん時・其の隠れ無らんか。但し御尋ね無き間は、其の重罪は良観上人等に譲り渡す」と、これらの所業は良観上人の策動であると看破しております。
 尚その後「降雨の対決」に破れ自尊心を傷つけられた良観は表に出ることを憚り、鎌倉幕府最大の実力者平頼綱に陰で取り入り、大聖人を亡き者にするべく二ヶ月後の文永八年九月十二日の「竜ノ口の法難」を策謀します。
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失しております。

【行敏訴状御会通 本文】

 当世日本第一の持戒の僧・良観聖人並びに法然上人の孫弟子・念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等の諸聖人等、日蓮を訴訟する状に云く「早く日蓮を召し決せられて邪見を摧破し正義を興隆せんと欲する事」云云。
 日蓮云く「邪見を摧破し正義を興隆せば一眼の亀の浮木の穴に入るならん」幸甚・幸甚。
 彼の状に云く「右八万四千の教乃至一を是として諸を非とする理・豈に然る可けんや」云云。
 道綽禅師云く「当今末法は是れ五濁悪世なり。唯浄土の一門のみ有つて路に通入す可し」云云。善導和尚云く「千中無一」云云。法然上人云く「捨閉閣抛」云云。念阿上人等の云く「一を是とし諸を非とするは謗法なり」云云。本師三人の聖人の御義に相違す。豈に逆路伽耶陀(ぎゃくろ・がやだ)の者に非ずや。将又(はたまた)忍性良観聖人、彼等の立義に与力して此を正義と存せらるるか。
 又云く「而るに日蓮偏えに法華一部に執して諸余の大乗を誹謗す」云云。
 無量義経に云く「四十余年未顕真実」法華経に云く「要当説真実」と。又云く「宣示顕説」と、多宝仏証明を加えて云く「皆是真実」と、十方の諸仏は「舌相至梵天」と云う云云。已今当の三説を非毀して法華経一部を讃歎するは釈尊の金言なり、諸仏の傍例なり。敢て日蓮が自義に非ず。其の上・此の難は去る延暦・大同・弘仁の比(ころ)、南都の徳一大師が伝教大師を難破せし言なり。其の難・已に破れて法華宗を建立し畢んぬ。
 又云く「所謂法華前説の諸経は皆是れ妄語なり」と云云。
 此又日蓮が私の言に非ず。無量義経に云く「未だ真実を顕さず」未顕真実とは妄語の異名なり。法華経第二に云く「寧ろ虚妄有りや。不(いな)なり」云云。第六に云く「此の良医虚妄の罪を説くや不や」云云。涅槃経に云く「如来虚妄の言無しと雖も・若し衆生虚妄の説に因ると知れば」云云。天台云く「則ち為(これ)如来綺語(きご)の語(ことば)」云云。四十余年の経経を妄語と称すること又日蓮が私の言に非ず。
 又云く、念仏は無間の業と云云。
 法華経第一に云く「我れ則ち慳貪に堕せん。此の事為(さだめて)不可なり」云云。第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。大覚世尊・但観経念仏等の四十余年の経経を説て法華経を演説したまわずんば三悪道を脱れ難し云云。何に況や末代の凡夫一生の間・但自らも念仏の一行に留り、他人をも進めずんば豈無間に堕せざらんや。例せば民と子との王と親とに随わざるが如し。何に況や道綽・善導・法然上人等・念仏等を修行する輩、法華経の名字を挙げて念仏に対当して勝劣難易等を論じ「未有一人得者」「十即十生・百即百生」「千中無一」等と謂うは無間の大火を招かざらんや。
 又云く禅宗は天魔波旬の説と云云。
 此又日蓮が私の言に非ず。彼の宗の人人の云く「教外別伝」と云云。仏の遺言に云く「我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり」云云。教外別伝の言・豈此の科を脱れんや。
 又云く「大小の戒律は世間誑惑の法」と云云。
 日蓮が云く小乗戒は仏世すら猶之を破す。其の上・月氏国に三寺有り。所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云。一向小と一向大とは水火の如し。将又道路をも分隔せり。日本国に去(いぬ)る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり。其の後・桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ。其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云。護命・景深の本師等、其の諍論に負くるのみに非ず六宗の碩徳・各退状を捧げ伝教大師に帰依し、円頓の戒体を伝受す云云。其の状今に朽ちず、汝自ら開き見よ。而るを良観上人・当世日本国の小乗は昔の科を存せずという。
 又云く年来の本尊・弥陀観音等の像を火に入れ・水に流す等云云。
 此の事慥(たしか)なる証人を指し出し申す可し。若し証拠無くんば良観上人等自ら本尊を取り出して火に入れ水に流し、科を日蓮に負せんと欲するか。委細は之を糾明せん時、其の隠れ無らんか。但し御尋ね無き間は其の重罪は良観上人等に譲り渡す。二百五十戒を破失せる因縁此の大妄語に如かず、無間大城の人・他処に求ること勿れ。
 又云く凶徒を室中に集むと云云。
 法華経に云く「或は阿練若に有り」等云云。妙楽云く・東春云く・輔正記云く・此等の経釈等を以て当世日本国に引き向うるに、汝等が挙る所の建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・大仏殿・長楽寺・浄光明寺等の寺寺は妙楽大師の指す所の第三・最甚の悪所なり。東春に云く「即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す」云云。又云く「両行は公処に向う」等云云。
 又云く「兵杖」等云云。
 涅槃経に云く・天台云く・章安云く・妙楽云く、法華経守護の為の弓箭兵杖(きゅうせん・へいじょう)は仏法の定れる法なり。例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し。
 但し良観上人等弘通する所の法、日蓮が難・脱れ難きの間、既に露顕せしむ可きか。故に彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く、日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ・水に流す。汝等が大怨敵なりと云云。頚を切れ・所領を追い出せ等と勧進するが故に、日蓮の身に疵(きず)を被り・弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり。此れ偏に良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出たり。心有らん人人は驚く可し・怖る可し云云。
 毘瑠璃王(びるりおう)は七万七千の諸の得道の人を殺す。月氏国の大族王は卒都婆(そとば)を滅毀し・僧伽藍を廃すること凡そ一千六百余処乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき。毘盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取りて並べ従えて殺戮す。積む屍・莽(しかばね・くさむら)の如く流血・池を成す。弗沙弥多羅(ほっしゃみったら)王は四兵を興して五天を回らし・僧侶を殺し寺塔を焼く。説賞迦王は仏法を毀壊す、訖利多(きりた)王は僧徒を斥逐(せきちく)し仏法を毀壊す。欽明・敏達・用明の三王の詔に曰く、炳然(へいねん)として宜く仏法を断ずべし云云。二臣自ら寺に詣で堂塔を斫倒(しゃくとう)し仏像を毀破し・火を縦(はな)つて之を焼き、所焼の仏像を取つて難波の堀江に棄て、三尼を喚び出して其の法服を奪い・並びに笞を加う云云。大唐の武宗は四千六百余処を滅失して僧尼還俗(げんぞく)する者計うるに二十六万五百人なり。去る永保年中には山僧・園城寺を焼き払う云云。御願は十五所・堂院は九十所・塔婆は四基・鐘楼は六宇・経蔵は二十所・神社は十三所・僧坊は八百余宇・舎宅は三千余等云云。去る治承四年十二月二十二日・太政入道浄海、東大・興福の両寺を焼失して僧尼等を殺す。
 此等は仏記に云く、此等の悪人は仏法の怨敵には非ず。三明六通の羅漢の如き僧侶等が我が正法を滅失せん。所謂守護経に云く・涅槃経に云く。

             日 蓮 花 押




by johsei1129 | 2024-09-19 19:46 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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