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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 02日

報恩抄文段 上 終

一 誑惑(おうわく)()もりて等

 此の下は次に誑惑久しからざるを明かす、亦二と()す。初めに正しく明かし、次に「尼犍(にけん)」の下は例を引く。初めの正しく明かす文に(ほっ)()(ごう)あり。見るべし。

 文に云う「日本に(ふたつ)(わざわい)」等とは、慈覚・智証・弘法の誑惑(つも)りて、叡山(えいざん)三井寺(みいでら)の合戦、高野(こうや)根来(ねごろ)の合戦の二の(わざわい)出現するなり。

 文に云う「(ふん)を集めて栴檀(せんだん)となせども」等とは、此の(たとえ)(りょう)(ごん)(きょう)に出でたり。()の経の第六の下に云く「阿難(あなん)()()大妄語(だいもうご)を断ぜずば、人糞を(きざ)んで栴檀(せんだん)の形と為し、香気を(もと)めんと欲するが如し。是の(ことわり)有ること無し」等云云。

 文に云う「大妄語を集めて仏と・()うすとも」等とは、文の意は、大妄語を集めて仏寺と号すとも、(ただ)無間(むけん)大城(だいじょう)なりと云云。故に「寺」の字を入れて見るべきか。

 文に云う「尼犍(にけん)が塔は」等とは、此の(しも)次に例を引くなり。(また)元意(がんい)り云云。礼を受けて(たちま)ちに(くず)るるなり。(しか)るに王、馬鳴(めみょう)の化を受く、故に功を馬鳴に()するなり。  

()(べん)()羅門(らもん)がと()り」等とは、帷は「とばり・たれぬの」なり。註の四・二十七、語式に云云。太平記十二・十八に「馬鳴(とばり)(かか)ぐれば鬼神()って口を閉じ、栴檀(せんだん)、塔を礼すれば支提(しだい)破れて(かばね)を顕す」等云云。御書二十三・五に云く「拘留(くる)外道(げどう)は八百年ありて水となり、迦毘(かぴ)()外道は一千年すぎてこそ()(とが)あらわ()れしか」と云云。

文に云う「拘留(くる)外道は石となって」等とは、()の十・七に「迦毘羅仙」云云。啓蒙(けいもう)に云云。

文に云う「水となりぬ」等とは、(まこと)に水と()るには(あら)ず。陳那(ちんな)菩薩、()を書するに石(すなわ)()けたりと云云。今「水となりぬ」とは、()(やす)きを示すなり。

一 (ちょう)(こう)が国をとりし王莽(おうもう)が位をうば()いし

 此の(しも)は三に略して亡国(ぼうこく)を結するなり。啓蒙七・四十七、啓蒙十四・六十四、盛衰記(せいすいき)一。


                   下につづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2016-01-02 15:22 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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