一 誑惑のつもりて等文。
此の下は次に誑惑久しからざるを明かす、亦二と為す。初めに正しく明かし、次に「尼犍」の下は例を引く。初めの正しく明かす文に法・譬・合あり。見るべし。
文に云う「日本に二の禍」等とは、慈覚・智証・弘法の誑惑積りて、叡山・三井寺の合戦、高野・根来の合戦の二の禍出現するなり。
文に云う「糞を集めて栴檀となせども」等とは、此の譬、楞厳経に出でたり。彼の経の第六の下に云く「阿難、若し其の大妄語を断ぜずば、人糞を刻んで栴檀の形と為し、香気を求めんと欲するが如し。是の処有ること無し」等云云。
文に云う「大妄語を集めて仏と・がうすとも」等とは、文の意は、大妄語を集めて仏寺と号すとも、但無間大城なりと云云。故に「寺」の字を入れて見るべきか。
文に云う「尼犍が塔は」等とは、此の下は次に例を引くなり。亦元意有り云云。礼を受けて忽ちに崩るるなり。然るに王、馬鳴の化を受く、故に功を馬鳴に帰するなり。
「鬼弁婆羅門がとばり」等とは、帷は「とばり・たれぬの」なり。註の四・二十七、語式に云云。太平記十二・十八に「馬鳴帷を褰ぐれば鬼神去って口を閉じ、栴檀、塔を礼すれば支提破れて尸を顕す」等云云。
御書二十三・五に云く「拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其の失はあらわれしか」と云云。
文に云う「拘留外道は石となって」等とは、弘の十・七に「迦毘羅仙」云云。啓蒙に云云。
文に云う「水となりぬ」等とは、実に水と成るには非ず。陳那菩薩、偈を書するに石即ち裂けたりと云云。今「水となりぬ」とは、消え易きを示すなり。
一 趙高が国をとりし王莽が位をうばいし等。
此の下は三に略して亡国を結するなり。啓蒙七・四十七、啓蒙十四・六十四、盛衰記の一。
下につづく
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