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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 02日

報恩抄文段 上三五  弘法(こうぼう)の現報を明かす


一 弘法(こうぼう)大師も又跡なし

 此の下は三に弘法の現報を明かす、亦三と()す。初めに(きん)(かい)相違、遺跡(いせき)断絶を明かし、次に誑惑(おうわく)の末弟の徳を()げて智に()うるを示し、三に正しく現報を明かす。初めの文、亦二と為す。初めに禁状(きんじょう)宣旨(せんじ)に相違するを示し、次に「されば今」の下は(しゃく)(じょう)

 文に云う「弘法大師の云く乃至御い()しめの状あり」等とは、弘法二十五ヶ条の遺誡(ゆいかい)(これ)有り、其の中の第十六箇条の文意なり。

 文に云う「(かん)(ぴょう)法王は仁和寺(にんなじ)建立(こんりゅう)して」等とは、仁和四年に之を始め、(かん)(ぴょう)元年に成就(じょうじゅ)るなり。朝抄に「仁和元年の建立」とは、本拠(ほんきょ)相違するなり。初めに(したが)って名づくるなり。

 文に云う「今の東寺の法師(ほっし)」等とは、今の東寺の法師は東大寺に於て授戒(じゅかい)せず。故に(がん)(しん)弟子に(あら)ず。禁状に(そむ)く故に弘法の弟子に非ず。(ひとえ)宣旨(せんじ)(まか)せて叡山の(えん)(どん)(かい)(たも)つが故に伝教(でんぎょう)御弟子(みでし)なり。又伝教の御弟子にも非ず。(すで)に伝教の法華経を()(しつ)せる故なり。(あに)(ちょう)()の人に非ずや。(いずくん)ぞ亦(ちょう)(けい)に似たらんや。

 文に云う「(いぬ)(じょう)()二年」等とは、弘法終焉(しゅうえん)して火葬(かそう)すること、啓蒙及び朝抄に云云。(また)中正の十九・七十九を見合(みあ)わすべし。

 文に云う「師の徳をあげて智慧(ちえ)()へ」等とは、一義に云く、師の徳を()げんとて虚事(そらごと)を書く故に、(かえ)って弘法の智慧(ちえ)までを無にするなりと。

一義に云く、証拠(しょうこ)もなき徳を挙げて、弘法の智慧を(かざ)り立つるなりと云云。

一義に云く、(およ)(じゅう)(じゅう)(しん)等の(はい)(りゅう)(まこと)荒量(こうりょう)の義にして智者の(しょ)(りゅう)に非ず。故に智慧を(もっ)て之を吟味(ぎんみ)せば、(たちま)ちに()(しょ)()すべし。故に(いつわり)の徳を挙げて智慧の(かわ)と為し、以て(じゃ)()(たす)くるなりと云云。

 今謂く、弘法()し智者ならば、第三の戯論(けろん)等、分明(ふんみょう)の経文を出すべし。(しか)るに(まった)く証文無し。

故に末弟等、他難(たなん)(さえぎ)ること(あた)わず。故に種々(しゅじゅ)()(とく)を挙げて云く、我が師の(しょ)(りゅう)若し(ぶつ)()(かな)わずんば、何ぞ()くの如きの大徳有らん。既に此くの如きの大徳あり。故に知んぬ。仏意に(かな)うこと分明(ふんみょう)なり。誰か()の人を信ぜざらんやと云云。是れ徳を挙げて智慧に代うるの相なり。(およ)そ道理・文証に()って其の宗々を立つるは、是れ諸家の通法なり。(しか)るに文理を立つること能わず、(ただ)虚徳を挙げて諸人を誑惑(おうわく)す。(あに)死後の恥辱(ちじょく)に非ずや。

 文に云う「(また)高野山」等とは、此の(しも)は三に(まさ)しく現報を明かすなり。

 文に云う「此の本末の二寺・昼夜に合戦(かっせん)あり」等とは、太平記十八に「高野、根来(ねごろ)不和の事」と。


                 つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2016-01-02 15:13 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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