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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 02日

報恩抄文段 上三四


一 (しか)るに日本国は叡山(えいざん)(ばか)りに等

 此の下は次に(すべ)て法華の行者なく(ただ)謗者(ぼうじゃ)のみ有ることを明かす、亦三と()す。初めに三師謗法(ほうぼう)現報(げんぽう)、死後の恥辱(ちじょく)を明かし、次に「尼犍(にけん)」の下は誑惑(おうわく)久しからずの例を引き、三に「(ちょう)(こう)」の下は、略して亡国(ぼうこく)を結す。

 問う、初めの科目は如何(いかん)

 答う、御抄三十太田金吾抄十五に云く「弘法(こうぼう)()(かく)智証(ちしょう)等は乃至(あるい)墓墳(ぼふん)無く、或は事を入定(にゅうじょう)()せ、或は度度(たびたび)大火・大兵に()えり。権者は(はじ)死骸(しがい)に与えざるの本文に違するか」。

二十三・十八に云く「(しょう)の難は仏法の定例(じょうれい)・聖賢の御繁盛(ごはんじょう)の花なり。死の(のち)恥辱(ちじょく)は悪人・愚人(ぐにん)誹謗(ひぼう)正法の人の(まね)くわざわいなり」等云云。(すなわ)ち此の意なり。

 初めの三師謗法(ほうぼう)の現報、死後の恥辱を明かすを、亦三と()す。初めに()(かく)の現報を明かし、次に智証(ちしょう)の現報を明かし、三に弘法(こうぼう)の現報を明かす。

初めの慈覚の現報を明かすを、亦三と為す。初めに本師を()げ、次に両師を(ひょう)し、三に(まさ)しく慈覚を明かす、亦三と為す。初めに二途(にと)()らざるを示し、次に「(きょう)(ちょう)」の下は不孝謗法を明かす。太田抄十に「不幸・謗法は大地の如し」と。三に「されば」の下は正しく現報を明かす。初めの文に(ほっ)()あり。見るべし。(注:梟鳥。フクロウのこと)

文に云う「蝙蝠(へんぷく)鳥のごとし」とは、補注十五に仏蔵経を引いて破戒(はかい)比丘(びく)(たと)う。(注:蝙蝠。こうもりのこと)

 文に云う「(きょう)(ちょう)」等とは、此の下、次に謗法不幸を明かす。文に()(ごう)(しょう)り、見るべし。「梟鳥」は母を(くら)う鳥なり。「破鏡(はけい)」は父を(がい)する(けもの)なり。形、(ねこ)に似たりと云云。啓蒙六・十四に云云。

 文に云う「法華経の父」等とは、法華経は仏種なり、故に「父」と云う。持者は仏種を(いだ)(たも)、故に「母」と云うなり。朝抄の意は之に異なるなり。慈覚は法華の仏種を断じ、伝教大師の母に()す、故に梟鳥・破鏡に(たと)うるなり。

 文に云う「日を()るとゆめ()に・()し是れなり」とは、所持の法華経(すで)(また)日天子の如くなり。能持(のうじ)の人も(また)(また)(しか)なり。撰時抄下に云く「されば()ゆめ()は乃至伝教大師・釈迦仏・法華経を()たて()まつれる矢にてこそ二部の(しょ)は候なれ」と文。

 文に云う「されば死去の(のち)(はか)なくて()みぬ」等とは、此の下、三に(まさ)しく現報を明かすなり。御書二十三・二十七に云く「慈覚大師の御はか()は・いづれのところに有りと申す事()こへず候、世間に云う御(くび)出羽(でわ)の国・立石寺(りっしゃくじ)に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」と云云。太平記評判の二十四巻に云く「()(のち)山門・南都に法論(おこ)りて慈覚大師の遠行(おんぎょう)不思議(ふしぎ)分野(ありさま)(ども)多かりし、(これ)も法論の遺恨(いこん)の故とぞ聞えし」等云云。「遠行」とは死去の事なり。

一 智証(ちしょう)門家(もんけ)

 此の下は次に正しく智証の現報を明かし、()ねて慈覚の現報を明かす。大火・大兵現じ、無間(むけん)を感ず。謗者(つみ)を無間に開く。(あに)死後の恥辱(ちじょく)(あら)ずや。

園城寺(おんじょうじ)をやき」とは、釈書三十・四已下、二十五・二十一、二十六・十八。「叡山(えいざん)をやく」とは、王代一覧の五・三十八、其の(ほか)啓蒙(けいもう)を見るべし。


                  つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2016-01-02 14:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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