【仏眼御書】
■出筆時期:建治二年(1276年)五十五歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は前後の文が不明で数行の断簡が残されているだけのため対告衆等の詳細は不明ですが「一人のし(知)る人日蓮をにくみしかば、此の山にかくれて候」と、身延山中に入山される心境を率直に記されておられることから、気持ちの通じ合った富木常忍のような古参の強信徒に送られたのではないかと推察されます。
本文の趣旨は、「仏眼・仏耳(ぶつに)をもって三度、日本国の為政者を諌めたが、日蓮の言を用いることなく、蒙古の襲来で国が滅びようとしている。また国中に白癩病(現ハンセン病)で苦しむ人々が大勢いる。それにも関わらず日本国の中で只一人、この原因を知っている日蓮を憎むが故に、此の身延に隠居するのである」とおもわれますが、この断簡だけでは、大聖人が国家諌暁が叶わなかった事への諦めの心境とも受け取られますが、恐らく本書の全体が明らかになれば、今後は弟子・信徒を教化し令法久住に邁進する思いが記されいたのではないかと強く拝されますす。
■ご真筆:東京都 常圓寺(断簡)所蔵。
【仏眼御書 本文】
仏眼をか(借)り、仏耳をたまわ(賜)りて、しめ(示)し候ひしかども、
用ゐる事なければ、ついに此の国やぶれなんとす。
白癩病の者のあまたありて、一人のし(知)る人日蓮をにくみしかば、
此の山(身延山)にかくれて候。
※本書の前後の文はご真筆・古写本が伝えられていないため不明です。