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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 03日

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云い、はかなきを畜といふ。と説いた【崇峻天皇御書】

【崇峻天皇御書】
■出筆時期:建治三年(1277年)九月十一日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は四条金吾が主君の江間氏よりを謹慎を命じられていた時に、大聖人は短気な金後に対し、崇峻天皇が聖徳太子の諫言を守らず蘇我の馬子に殺害された故事を引いて、主君や同僚を恨むことなく謹慎がとけるまで自重して事にあたるよう様々な生活指導されておられます。
また竜ノ口の法難で金吾が大聖人と共に殉死しようとされたことについて「返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時、殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん。設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし」と、金吾の大聖人に随順する思いを称えられておられます。

さらに文末では「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり<中略>教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と記され、法華経の信徒として賢き振る舞いをするよう諭されておられます。
※尚、本消息の経緯については『小説日蓮の生涯(下) 66 金吾の奉行所対決』を参照して下さい。
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失しております。

【崇峻天皇御書 本文】

白小袖一領・銭一ゆひ・又富木殿の御文(ふみ)のみ・なによりも・かきなし(柿梨)なまひ(干)じきひるひじき・やうやうの物うけ取りしなじな御使にたび候いぬ、さては・なによりも上の御いたはり(所労)なげき入つて候、たとひ上は御信用なき様に候へども・との(殿)其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひ・まいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木・大河の辺(ほとり)の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへ・いき(気)をえて・さか(栄)うる事に候。

此れもかくのごとし、阿闍世王は仏の御かたきなれども其の内にありし耆婆大臣・仏に志ありて常に供養ありしかば其の功大王に帰すとこそ見へて候へ、仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には「我深く汝等を敬う」涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かく(隠)れたる事のあら(顕)はれたる徳となり候なり、されば御内の人人には天魔ついて前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをささ(支)えんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために此の病はをこれるか、上は我がかたきとは・をぼさねども一たん・かれらが申す事を用い給いぬるによりて御しよらうの大事になりて・ながしら(長引)せ給うか、彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事を・ひきをこして・いかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。

此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきに・ねらはれさせ給いなん・すぐろく(雙六)の石は二つ並びぬればかけられず車の輪(わ)は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をば・い(悒)ぶせがり候ぞ、いかにとが(科)ありとも弟(おと)ども且くも身をはなち給うな、殿は一定・腹あしき相(そう)かを(面)に顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ・殿の人にあだまれて・をはさば設い仏には・なり給うとも彼等が悦びと云う、此れよりの歎きと申し口惜しかるべし、彼等が・いかにもせんと・はげみつるに、古よりも上(かみ)に引き付けられまいらせて・をはすれば・外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸は・も(燃)ふる計りにや有らん、常には彼等に見へぬ様にて古よりも家のこ(子)を敬ひ・きうだち(公達)まいらせ給いて・をはさんには上(かみ)の召しありとも且く・つつしむべし、入道殿いかにもならせ給はば彼の人人は・まどひ者になるべきをば・かへりみず、物をぼへぬ心に・との(殿)のいよいよ来るを見ては一定ほのをを胸にたきいきをさかさまにつ(吐)くらん、若しきうだちきり(権)者の女房たち・いかに上の御そろうはと問い申されば、いかなる人にても候へ・膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候を・いかに辞退申せども・ただと仰せ候へば御内の者にて候間・かくて候とてびむ(鬢)をも・かかずひたたれ(直垂)こは(強)からず、さはやかなる小袖・色ある物なんども・き(著)ずして且く・ねう(忍)じて御覧あれ。

返す返す御心へ(得)の上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くは・こら(堪)ふるやうなれども終には・やけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かう(甲)の座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずして・はやか(勝)ちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこ(漕漕)ひでの船こ(溢)ぼれ又食の後に湯の無きが如し、上(かみ)よりへやを給いて居して・をはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めて・ねらうらん、又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下(した)か・天井なんどをば、あながちに・心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等は・たばかり賢(かしこ)かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら(荏柄)夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ。

義経はいかにも平家をば・せめおとしがたかりしかども・成良(しげよし)をかたらひて平家をほろぼし、大将殿は・おさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頚を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前・彼の人人いかなる事ありとも・かへりみ給うべし、其の上(うえ)殿の家へ此の人人・常にかようならば・かたきはよる行きあはじと・をぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとは・よも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士(つわもの)はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかし、いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上(かみ)にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき・已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうし(犢)の母を思ひ老者(おい)の杖をたのむが如く・主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうら(羨)やましやとこそ御内の人人は思はるるらめ・とくとく此の四人かたらひて日蓮にき(聞)かせ給へ、さるならば強盛に天に申すべし、又殿の故(こ)・御父・御母の御事も左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり、定めて釈迦仏の御前に子細候らん。

返す返す今に忘れぬ事は頚切(くびきら)れんとせし時、殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こし(誘)らへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、暗(くらやみ)に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰(こおり)に火を・たくがごとく・日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ、若しすこしも此の事をたがへさせ給うならば日蓮うらみさせ給うな

此の世間の疫病は・とののまうすがごとく年帰りなば上へあがりぬと・をぼえ候ぞ、十羅刹の御計(はから)いか今且く世にをはして物を御覧あれかし、又世間の・すぎえぬ・やうばし歎いて人に聞かせ給うな、若しさるならば賢人には・はづ(外)れたる事なり、若しさるならば妻子があと(後)に・とどまりてはぢを云うとは思はねども、男のわかれのおしさに他人に向いて我が夫のはぢを・みなかたるなり、此れ偏に・かれが失にはあらず我がふるまひのあしかりつる故なり。

人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持(も)ちて名を・くた(腐)して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務(なかつかさ)三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文(ふみ)を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。

第一秘蔵の物語あり書きてまいらせん、日本始りて国王二人・人に殺され給う、其の一人は崇峻天皇なり、此の王は欽明天皇の御太子・聖徳太子の伯父(おじ)なり、人王第三十三代の皇(みかど)にて・をはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる、汝は聖智の者と聞く朕(ちん)を相してまいらせよと云云、太子三度まで辞退申させ給いしかども頻(しきり)の勅宣なれば止みがたくして敬いて相しまいらせ給う。君は人に殺され給うべき相ましますと、王の御気色かはらせ給いて・なにと云う証拠を以て此の事を信ずべき、太子申させ給はく御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり、皇帝(みかど)勅宣を重ねて下し・いかにしてか此の難を脱れん、太子の云く免脱(のがれ)がたし但し五常と申すつはもの(兵)あり此れを身に離し給わずば害を脱れ給はん、此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して六波羅蜜の其の一なりと云云、且くは此れを持ち給いてをはせしが・ややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給いき、或時(あるとき)人・猪の子をまいらせたりしかば・こうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶと・ささせ給いていつか・にくしと思うやつをかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや・あさましや・君は一定人にあだまれ給いなん。

此の御言(みことば)は身を害する剣なりとて太子多くの財を取り寄せて御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、有人(あるひと)蘇我の大臣・馬子と申せし人に語りしかば馬子我が事なりとて東漢直駒(あずまあやあたいごま)・直磐井(あたいいわい)と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ、されば王位の身なれども思う事をば・たやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたび(九度)おもひて一度(ひとたび)申す、周公旦と申せし人は沐(ゆあみ)する時は三度握(みたびにぎ)り食する時は三度はき給いき、たしかに・きこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。

一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云い、はかなきを畜といふ。

建治三年丁丑(ひのとうし)九月十一日 日蓮 花押
四条左衛門尉殿御返事





by johsei1129 | 2019-11-03 21:08 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
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