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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 28日

報恩抄文段 上二四

一 (また)真言宗の元祖(がんそ)と云う竜樹(りゅうじゅ)菩薩の御心もかくのごとし。

  此の(しも)は次に同を引いて()()す。

大論一百・十七に云く「問う、(さら)(いず)れの法か(じん)(じん)にして般若(はんにゃ)に勝る者有って、般若を(もっ)()(なん)属累(ぞくるい)し、(しか)余経をば菩薩に属累するや。答えて(いわ)く、般若波(はんにゃは)()(みつ)秘密(ひみつ)の法に(あら)ず。而も法華等の諸経には阿羅漢(あらかん)作仏(さぶつ)を説く。大菩薩は()く受持し用う、(たと)えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。

文意は、法華経には二乗作仏を明かす。毒を以て薬と為すが如き故に甚深の秘密勝れ、般若(はんにゃ)経には二乗作仏を明かさざる故に秘密の法に非ず。此の故に(おと)れるなり云云。

  故に知んぬ、大日経には二乗作仏を明かさざる故に、般若経に同じく秘密の法に非ず、(また)是れ下劣(げれつ)の法なり。故に知んぬ、竜樹(りゅうじゅ)菩薩の御心(みこころ)も大日経等の一切経の中に法華経は勝れたりと(おぼ)()す事分明(ふんみょう)なり。是れは同を引くなり。

  文に云う「不空(ふくう)があやまれる菩提(ぼだい)心論(しんろん)」等とは、

  問う、菩提心論は(あるい)は竜樹の造といい、或は不空の集と云う。何ぞ今治定(じじょう)して「不空」と云うや。

  答う、()れに多くの所以(ゆえん)有り。今略して一二を()げん。

  一には彼の論に云く「毘盧舎那(びるしゃな)経の(しょ)(じゅん)ずるに、阿字を釈するに(つぶさ)に五義有り」等云云。(いわ)く、竜樹(かつ)て月氏に()り、何ぞ千年後の漢土(かんど)無畏(むい)の大日経の疏を引かんや。

  二には(また)彼の論に大日経の第七、供養次第(しだい)法を引き(おわ)んぬ。是れも(また)無畏三蔵の(こん)(ぞく)(おう)の塔の下に於て感見する(ところ)なり。千年()(ぜん)の竜樹、(いか)でか之を引くべけんや。故に竜樹の造に(あら)ざること道理分明(ふんみょう)なり。智証(ちしょう)の意も亦(しか)なり。宗旨雑記の下十二、御書二十四・二十五に或は()して云く「彼は是れ後人(こうじん)()の疏の文を引いて(しる)して論の中に注入せしなり。(しか)るに有る論本に長行(じょうごう)と書けるは写主の(あやま)りならん」と云云。

  ()し爾らば、(まさ)しく不空(ふくう)(あやま)の相、如何。

  答う、彼の論の中の「(ただ)真言法中」の肝心(かんじん)の文は(あやまり)なり。其の故は、文証(もんしょう)現証(げんしょう)分明なる法華の即身(そくしん)成仏(じょうぶつ)を一向に()に属して、文証・現証も無き真言経に即身成仏を立つるが故なり。其の上の「(ゆい)真言」の「唯」の一字、第一の謬りなり。(つぶさ)には撰時抄上二十五の如し。

  今文の意に(いわ)く、竜樹(すで)に大論の中に法華を第一と定め(おわ)んぬ。故に大論を()く能く之を(たず)ぬれば、法華・真言の勝劣(しょうれつ)(まさ)に是れ分明(ふんみょう)なるべし。(しか)るに不空の悞れる菩提(ぼだい)心論(しんろん)の「(ゆい)真言法中即身成仏」の文に皆人(たぶら)かされて、法華・真言の勝劣に迷惑せるか云云。文中の二箇の「()の事」は、並びに法華・真言の勝劣の事なり。

一 (いわ)(ぶち)(ごん)(そう)僧正(そうじょう)御弟子(みでし)

  此の(しも)は次に三師の伝弘(でんぐ)を明かして(もっ)邪謬(じゃびゅう)(あらわ)す、亦二と()す。初めに弘法(こうぼう)の伝弘を明かし、次に覚・証の伝弘を明かす。初めの文(また)三と為す。初めに伝来立宗、次に「一代」の下は(まさ)しく邪謬を明かし、三に「天竺(てんじく)」の下は今師(こんし)()(しゃく)。「空海(くうかい)」は釈書一・二十七、二・二十、註の七・七の如し。

  文に云う「両三蔵の第三の御弟子」等とは、真言八祖の相承(そうじょう)に二義あり。謂く、一には付法の八祖。一には大日如来、二には金剛(こんごう)薩埵(さつた)、三には(りゅう)(みょう)、四には(りゅう)()、五には金剛(こんごう)()、六には不空、七には恵果(けいか)、八には弘法なり。

伝持の八祖とは、一には竜猛、二には竜智、三には金剛智、四には不空、五には善無畏(ぜんむい)、六には一行(いちぎょう)、七には恵果、八には弘法なり。雑記下五。啓蒙(けいもう)に云く「両三蔵の第三代の御弟子なり」と。

 文に云う「大同二年十月二十二日御帰朝」等文。

釈書には「元和(げんな)元年帰朝」と云う。大唐の元和元年は(すなわ)ち日本の大同元年なり。今何ぞ「二年」と云うや。

  答う、大同元年に太宰府(だざいふ)()き、同二年に平安城に入る。故に相違には(あら)ず。釈書一・三十云云。故に唐に()ること三年なり。

  文に云う「平城(へいぜい)ほど()もなく」等とは、王代一覧の二・三十九に(なか)(なり)薬子(くすこ)云云


つづく


報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-28 22:56 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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