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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 25日

報恩抄文段 上二一


 次の文に云う「
(また)玄昉(げんぼう)等」とは、人王四十四代元正帝の(れい)()二年に入唐(にっとう)し、四十五第(しょう)()天皇の天平七年に帰朝(きちょう)、唐に()ること二十年なり。(しょう)(らい)せる経論(きょうろん)章疏(しょうしょ)五千余巻、即ち興福寺(こうふくじ)(おさ)む。同じき十八年六月、筑紫(つくし)観音寺(かんのんじ)供養(くよう)の導師たり。此の時、空中より玄昉を(ひっさ)げて去る。其の後、(ぼう)(こうべ)、興福寺の唐院に落つ。是れ則ち太宰府(だざいふ)都督(ととく)・藤原(ひろ)(つぐ)が霊の()す所なり。昉、(さき)に広継の妻に花鳥の使いを通ぜしが故なり。羅山(らざん)文集(ぶんしゅう)二十六、「玄昉(げんぼう)」の(しも)に云く「虎関(こかん)の、所謂(いわゆる)(さい)(こう)有り(いえど)(おさ)めざる者は丈夫(じょうぶ)と為さずとは、(わら)取るあり」と云云。二三子(にさんし)よ、()じざるべからず、(つつし)まざるべからず云云。釈書(しゃくしょ)十六・六、同二十二・十八、神社考三・三十七。

()れ人は(まさ)に其の名を(えら)ぶべし。唐の人、相して云く「玄昉は(げん)(ぼう)還って亡ずる)か」と。(はた)して日本に(かえ)り其の身を亡ぼせり。漢の高祖は柏人(はくじん)に宿せず。柏人は人に(せま)るが故なり。岑彭(しんぼう)(しょく)()って(なお)(ほう)(ぼう)に営し、其の夜、人に害せられたり。啓蒙(けいもう)十三終に羅山(らざん)文集を引く。

 亦明雲(みょううん)座主(ざす)の事は源平(げんぺい)盛衰(せいすい)記の三十四・十四に。(こう)嘉門院(かもんいん)聖子(せいし)の事は本朝語園一・二十七。(ほう)(うん)法師の雨を(ふら)す事は(せん)二・十二。(とも)(きり)(まる)の事は剣の巻九。亦聖賢の其の名を()む事は文選(もんぜん)二十八に云く「(かっ)しても(とう)(せん)の水を飲まず、熱けれども悪木の陰に(やす)まず」云云。同三十九に云く「里を勝母(しょうも)と名づく、曽子(そうし)入らず。(むら)を朝歌と(ごう)す、墨子(ぼくし)車を()えす」等云云。啓蒙三十一・六十一に之を引く。

文に云く「大日経の義釈(ぎしゃく)十四巻」とは、諌迷(かんめい)八・十九に「不空(ふくう)作る」云云。宗旨(しゅうし)雑記(ざっき)下三に云く「大日経(しょ)二十巻は善無畏(ぜんむい)の説、一行(いちぎょう)の筆記なり。(いま)再治(さいじ)せざるなり。

(おん)()再治して十巻に調(ととの)う、是れを大日経の義釈と名づく。山門・園城寺(おんじょうじ)には義釈を用い、東寺(とうじ)高野(こうや)には之を用いず、未治(みじ)の大日経疏を用うるなり」と文。

  御書三十五・二に云く「善無畏・金剛(こんごう)()評定(ひょうじょう)有って大日経の疏・義釈を作れり、一行阿闍(あじゃ)()の執筆なり」(法華真言勝劣事)と云云。

  又次の文に云く「東大寺の()清大徳」等とは、智証(ちしょう)の義釈目録に云く「西大寺の徳清大徳将来(しょうらい)の本一十四巻、(また)(やま)階寺(しなてら)後興福と号す)に一本有り、玄昉(げんぼう)将来(しょうらい)」と云云。

一 (これ)()伝教(でんぎょう)大師等

  此の(しも)は次に(まさ)しく明かす。

  文に云く「大日経・法華経の勝劣いかん(如何)がと・おぼしけるほどに」等文。

  問う、撰時抄に云く「伝教大師は日本国にして十五年が間・天台(てんだい)真言等を()(けん)せさせ給う(しょう)()(みょう)()にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審(ふしん)をはらさんがために漢土(かんど)(わた)り」と云云。

  答う、彼は内証に約し、()れは外相(げそう)に約するが故なり。

  文に云う「延暦(えんりゃく)二十三年七月」等とは、

  問う、延暦二十三年には伝教大師の御年(おんとし)何歳なりや。

  答う、(ここ)に二説あり。一には三十八歳なり。釈書に「神護景(じんごけい)(うん)元年に(ちょう)を生む」と。故に延暦二十三年は(すなわ)()れ三十八歳の御時(おんとき)なり」と。宗旨(しゅうし)雑記(ざっき)下二十四は即ち此の意なり。

  二には四十歳なり。朝抄(なら)びに啓蒙(けいもう)所引(しょいん)の一心戒文中七丁に云く「国昌寺の僧・最澄(さいちょう)、年四十、(ろう)二十乃至延暦(えんりゃく)二十三年に海を渡り道を(もと)む」等云云。()し此の()()らば天平神護元年の誕生(たんじょう)なり。合運三・四十二見合(みあ)すべし。

  文に云う「西明寺(さいみょうじ)」とは、此の(もん)(あやまり)なり。(まさ)に「国清寺(こくせいじ)」と云うべし。宋高僧伝二十九、釈書の一に云云。

  文に云う「止観(しかん)(えん)(どん)の大戒」とは、顕戒論に云く「一心三観は一言に伝え、菩薩の円戒は至心(ししん)(さず)くる」文。

  文に云う「霊感寺(れいかんじ)(じゅん)(ぎょう)」とは、若し釈書一・十四には「竜興寺の順暁」等云云。(けだ)し顕戒論には「(れい)巌寺(がんじ)の順暁」と云云。今は借音(しゃくおん)ならんか。血脈(けちみゃく)()台州(たいしゅう)臨海県竜興寺は道邃(どうずい)の寺なり。楊州(ようしゅう)の竜興寺は(がん)(じん)の寺なりと。


                      つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-25 05:54 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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