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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 23日

報恩抄文段 上十九


一 ()(のち)人王等

此の下は正しく明かす、亦二と為す。初めに略して前代流布(るふ)六宗(りくしゅう)の伝来を明かし、次に「(かん)()」の下は広く伝教の弘通(ぐつう)を明かす。

文に云く「三十七代・(こう)(とく)天王の御宇(ぎょう)までに乃至(じょう)実宗(じつしゅう)わたる」と文。(まさ)に此くの如く点ずべし。是れ(すなわ)ち孝徳天皇の御宇に五宗整束(せいそく)する故なり。啓蒙(けいもう)の意も(しか)なり。(つぶさ)撰時抄上十三の如し云云。(けだ)華厳宗(けごんしゅう)は、彼の家の一説(いっせつ)に云く、(きん)(めい)十三年に仏法最初伝来の時、華厳宗(わた)ると云云。(しばら)く此の義に(じゅん)ずれば孝徳の時、五宗整束せるなり。

文に云う「人王第四十五代に(しょう)()天王の御宇に律宗(りっしゅう)わたる」とは、

問う、撰時抄上に云く「人王四十六代(こう)(けん)天皇の御宇に(がん)(じん)律宗を渡す」(取意)云云。如何(いかん)

答う、鑑真伝来に付いて今(これ)料簡(りょうけん)せば、(じつ)に鑑真の来朝は四十六代孝謙天皇の天平(てんぴょう)(しょう)(ほう)六年なり。(しか)るに当文は、鑑真最初(はっ)(せん)の時に約せるか。(いわ)く、鑑真最初の発船は、唐の玄宗(げんそう)の天宝二年、(すなわ)ち日本の人王四十五代(しょう)()天王の天平十五年に当るが故なり。更に(かんが)えよ。

一 (かん)()御宇(ぎょう)

此の(しも)は次に広く伝教(でんぎょう)弘通(ぐつう)を明かす、亦八と()す。

初めに伝教出現。釈書の一・十七を見るべし。

二に「(やま)階寺(しなでら)」の下は師資習学。

三に「(しか)れども仏法」の下は自見発明。文に云く「鑑真和尚(わじょう)」等とは、即ち是れ天台(てんだい)四代の末学、道宣(どうせん)三代の弟子(でし)なり。謂く、受学の次第(しだい)()れば、天台-章安(しょうあん)弘景(こうけい)-鑑真なり。()受戒(じゅかい)の次第に拠れば、道宣ー弘景-鑒真なり。

四に「()の書(明鏡)」の下は六宗(りくしゅう)の邪見。

五に「(たちま)ちに(がん)を」の下は(しゅ)()発願(ほつがん)

六に「身命」の下は呵責(かしゃく)謗法。

七に「七大寺」の下は(おんてき)蜂起(ほうき)

八に「(しか)るを()ぬる」の下は高雄(たかお)問答、亦六と為す。

初めに天子臨莚(りんえん)、次に「七寺」の下は諸宗(りゅう)()、三に「最澄(さいちょう)」の下は伝教(でんぎょう)(なん)(しゃく)、四に「一言(いちごん)」の下は諸師閉口(へいこう)、五に「天皇」の下は承伏(じょうぶく)謝表(しゃひょう)啓蒙(けいもう)十一・五十四に(じき)(ぞう)等を引き謝表の本拠(ほんきょ)()す。()いて見よ。

文に云う「最澄乃至判じて云く」とは、延暦(えんりゃく)二十年十一月中旬の事なり。文の意は、()(ごん)(きょう)の義を(もっ)て法華の文を講ずるを(しりぞ)くなり。

(おのおの)一軸を講ずる」とは、是れ各法華一巻を講ずるを標するなり。 次に正判の文、三双六句なり。

(ほっ)()」「義旗(ぎき)」は、是れ法華を講ずることを(あらわ)すなり。

深壑(しんがく)」「高峰」は是れ講法の会場を顕すなり。

(ひん)(しゅ)」「長幼」は並びに是れ講を問うなり。

「三乗の(みち)徘徊(はいかい)し」とは、是れ権教の三乗の義を(しゅう)して、法華の一仏乗(いちぶつじょう)を知らざるなり。

「三有の結を摧破(さいは)して」とは、是れ権教の断惑(だんなく)を執して法華の不断(ふだん)而断(にだん)を知らざるなり。

(なお)未だ歴劫(りゃっこう)(てつ)(あらた)めず、(びゃく)()を門外に混ず」とは、(なお)(いま)だ権教の歴劫修行の執を改めざる故に、故に法華の「乗此(じょうし)宝乗(ほうじょう)(じき)()道場(どうじょう)速疾(そくしつ)なることを知らず、故に三車の中の牛車(ごしゃ)(もっ)て、即ち大白(だいびゃく)牛車(ごしゃ)()す。是れ白牛を門外に(こん)ず。()(しか)らば(あに)善く初住(しょじゅう)(くらい)(のぼ)り「阿」字(そく)()」字を生身(しょうしん)(さと)らんや等云云。

文に云く「(ひろ)()()(つな)」等とは、二人直ちに伝教(でんぎょう)即ち是れ南岳(なんがく)天台(てんだい)なりと信じ喜ぶなり。又(かえ)って伝教()(ぜん)は法華の実義未だ(あらわ)れざることを慨悲(がいひ)するなり。此の意を以て(こん)(もん)を見るべきなり。

問う、撰時抄上三十四に「(ひろ)()国道(くにみち)」と云云。国道・()(つな)は同人とせんや、別人とせんや。

答う、別人なり。啓蒙(けいもう)十四・二十一、釈書一・二十五。 

文に云く「何ぞ(せい)()(たく)せんや」とは、是れ(かん)()の聖代を指すなり。

六に「()の十四人」の(しも)は、六宗(りくしゅう)の破滅を明かす、亦二と()す。初めに(まさ)しく(しゃく)し、次に「(しか)るを今」の下は世情を()するなり。


                     つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-23 12:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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