一 法華経の疏四巻あり等文。
此の下は三に光宅の迷乱を結するなり。撰時抄上十二に云う、之を見合すべし。彼の師の意は、法華経は阿含・方等・般若等に対すれば、真実の経、了義経、正見の経なり。涅槃経に対すれば、不了義経、無常経、邪見経なり云云。玄文第二に詳らかに光宅を破す、見るべし。
一 法雲法師・御死去ありて等文。
此の下は次に天台弘通の正判を明かす、亦十段と為す。
第一に天台出世。梁の武帝の大通三年己酉三月二十七日に法雲法師御死去有って正しく第十年に当る大同四年戊午、智者の誕生は少かに十年を隔つ。故に「いくばくならざるに」と云うなり。智者の誕生せし梁の武帝の大同四年より陳の始め永定元年に至るまで唯二十年なり。故に「梁の末・陳の始」と云うなり。
第二に師資猶預。南岳大師、大乗止観に円融無碍の法門を明かすに、但華厳を引いて法華を引かざる等なり。故に「師の義も不審」と云うなり。
第三に三五高覧。啓蒙に六文を引く。所謂、太子伝・本朝文粋の十二・往生要集の二・同記の第三・沙弥威儀経疏・註梵網等、並びに一切経を転読すること一十五遍等と云う等云云。故に「度度御らん」と云うなり。御書三十九・十五。
第四に華厳礼文。智証大師、興定聚に云く「天台大師十五遍一切経を読み、古華厳に至って特り功力を致し、別に礼文を副えて、日日之を行ず」と文。
第五に他解不審。若し他人の所解を暁らめずんば、我が破責も当るべからざる故なり。
第六に自見発明。文の如く見るべし。
第七に悲歎思惟。亦是れ文の如し。
第八に呵責謗法。
第九に怨敵蜂起。
第十に陳殿対論。
亦八段と為す。
第一には天子臨莚。
第二には諸師巨難、別書見るべし。
第三には智者反難、亦二と為す。初めに総じて光宅所立の証文を責め、次に別して責む、亦二と為す。初めに華厳第一の義を責め、次に涅槃第二、法華第三の義を責む、亦二あり。初めに涅槃経の文を引き、次に法華の文を引く、亦二あり。初めに「已今当」の文を引き、次に「然して後」の下は正しく責む。初めの文に亦三あり。初めに如来の金言、次に多宝証明、三に分身助舌。
第四には怨敵承伏。朗詠詩に云く「漢高三尺の剣、坐して諸侯を制す」と云云。
第五には大師威猛。
第六には王臣礼敬。
第七には法華広布。
第八には高誉讃歎。
震旦の小釈迦等云云。
つづく
報恩抄文段上 目次