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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 18日

報恩抄文段 上十四


一 ()の人は一代の仏教を五にわかつ等文。其の五つの中に三経を(えら)()だす

  此の(しも)は次に釈、亦二あり。初めに(はん)(ぎょう)を明かし、次に「此の人は本より」の下は高徳を()ぐ。

  初めに判教、文に云く「()の五の中に三経をえら()いだ()す」とは、

  問う、光宅の(しょ)(りゅう)は一代の仏教を三に分かつ。所謂(いわゆる)(とん)(ぜん)不定(ふじょう)なり。何ぞ「一代の仏教を五にわかつ」と云うや。(いわん)や華厳を以て(ただ)(とん)教と名づけ、(ぜん)教の中に於て五時の教を分つ。所謂漸教の中の五時の教とは、一には有相(うそう)(すなわ)阿含(あごん)なり、二には無相教即ち般若なり、三には抑揚(よくよう)教即ち方等経なり、四には万善(まんぜん)同帰(どうき)(きょう)即ち法華なり、五には常住(じょうじゅう)教即ち涅槃経なり。此の中に華厳経無し。何ぞ「所謂華厳経」等と云うや。

  答う、実に(しょ)(もん)の如し。今は大意を取って()(はん)(ぎょう)を明かす。故に一に華厳、二に涅槃(ねはん)、三に法華と云うなり。撰時抄の上十二を()いて見よ。

 文に云う「摂政(せっしょう)関白(かんぱく)のごとし」とは、天子の(おさな)き時、天下の(まつりごと)()って(もっ)て天子に(かわ)る、是れを「摂政」と()う。此の時は関白の名は無し。天子幼主(ようしゅ)(あら)ずして常に内覧(ないらん)宣旨(せんじ)(こうむ)り、天下の政を行う、是れを「関白」と云う。万機(ばんき)(あづか)(もう)さしむるが故なり。此の時は摂政の名は無きなり云云。仮令(たとい)()大臣(だいじん)なれども摂政・関白なれば太政(だいじょう)大臣(だいじん)(かみ)()く。故に天子は第一、摂政・関白は第二なり。

 文に云う「()(ぎょう)等のごとし」とは、三公は是れ(こう)三位(さんみ)已上(いじょう)は是れ(きょう)なり。故に「公卿」は是れ第三なり。

一 此の人は本より智慧かしこき(うえ)

 此の(しも)は次に高徳を()ぐるなり。註六・十に続僧伝を引く云云。今、高徳を上げ(すなわ)ち十徳を明かす。

第一に智慧(ちえ)賢事(けんじ)。「(ほう)(りょう)(つね)に曰く、我が神明(こと)に及ばず、(まさ)に必ず大法に棟梁(とうりょう)たるべし」等云云。是れ光宅(こうたく)の智慧を(たん)ずるの(ことば)なり。

  第二に師資禀承(ししぼんじょう)。玄十九に云く「定林の(じゅう)()の二師及び道場の観法師乃至(ぜん)を判じて五時教と()す。即ち開善・光宅の用うる所なり」云云。故に今「習ひ伝え」と云う。習い伝うと云うと(いえど)も、直受(じきじゅ)()うには非ざるなり。啓蒙(けいもう)の義は可なり。

  第三に責破(しゃくは)他師(たし)。伝に云く「()(べん)疾風(しっぷう)の如く、応変(おうへん)降雨(こうう)の如し。()(ほこさき)に当る者は、心(みだ)れざるは(まれ)なり」等云云。「(ぼう)」の字は「おもいみだるる」とよむなり。

  第四に山林積(さんりんしゃっ)()

  第五に禁中立寺。()(てい)の旧宅七日七夜(ひかり)を放つ。故に光宅寺と云うなり。

  第六に講経(てん)()(さま)()(せつ)の如く空に()ち、下って空に昇って()ちず、講を(おわ)って(まさ)に去る等云云。亦通載(つうさい)の意に()れば、節々(おりおり)の事と見えたり。(注:状 すがた・かたちの意)

  第七に()()霊験(れいけん)(せん)二・十二、(とう)()三十八云云。志公云く「雲()く雨を致す」等云云。

  第八に現身僧正(そうじょう)。「普通六年(みことのり)して大僧正と為す」と云云。(しょう)(いわ)(まつりごと)なり。(みずか)(ただ)して人を正す故なり。

  第九に王臣渇仰(かつごう)

  第十に(えん)(ごう)感夢。文に「或人」と云うは、(すなわ)ち是れ陳郡の袁昂と云う人なり。


                    つづく


報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-18 22:50 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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