報恩抄文段 上十一 呵責謗法に四つの所以

　「真言(しんごん)の善無畏(ぜんむい)」とは、月(がっ)氏(し)の烏萇奈(うじょううな)国仏(こくぶっ)種(しゅ)王(おう)の太子にて七歳にして位に即(つ)き、十三にして国を兄に譲(ゆず)り、出家遁世(とんせ)して五(ご)天竺(てんじく)を修行し、達(だる)磨掬(まきく)多(た)に値(あ)い奉り、真言の諸(もろもろ)の印(いん)契(けい)を一時に頓受(とんじゅ)し、即日(そくじつ)に潅(かん)頂(じょう)あって、人天(にんでん)の師と定まり給えり。鶏(けい)足山(そくせん)に入り、迦葉(かしょう)の髪を剃(そ)り、王城に於(おい)て雨を祈りたもうには観音(かんのん)日輪(にちりん)の中より出(い)で、水瓶(すいびょう)を以て水を潅(そそ)ぐ。北天竺(きたてんじく)の金(こん)粟(ぞく)王(おう)の塔の下にして仏法を祈請(きしょう)したもうには、文殊師(もんじゅし)利(り)、大日経の胎蔵(たいぞう)の曼(まん)茶(だ)羅(ら)を現じて之に授く。

其の後(のち)、開元(かいげん)四年丙(ひのえ)辰(たつ)漢土に渡り、玄宗(げんそう)皇帝(こうてい)之(これ)を尊(とうと)ぶこと日月の如し。亦大旱魃(だいかんばつ)あり。皇帝勅(ちょく)を下(くだ)す。三蔵、一鉢(いっぱつ)に水を入れ暫(しばら)く加持(かじ)したまうに、水中に指(ゆび)計(ばか)りの物あり、変じて竜と成(な)り、其の色は赤色なり。白(はく)気(き)立(た)ち上(のぼ)り、鉢(はち)より竜出(い)でて虚空(こくう)に昇(のぼ)り、忽(たちま)ちに雨を降(ふ)らす。此(か)くの如き霊験(れいげん)の大聖なり。

「弘法(こうぼう)・慈(じ)覚(かく)・智証(ちしょう)」等は、入唐(にっとう)求法(ぐほう)の大徳(だいとく)、天子御帰依(ごきえ)の高僧なり。

此(これ)等(ら)の人々は、並びに是れ八万宝蔵を胸に浮べ、十二部経を掌(たなごころ)に握(にぎ)る。故に仏法の露(つゆ)一(いっ)滴(てき)も謬(あやま)り有るべからず。何ぞ是れ仏敵ならん是一。

況(いわん)や此(これ)等(ら)の人々は、漢土(かんど)・日域(にちいき)には先聖(せんしょう)・王公・大人(たいじん)の明師(みょうし)にして、智は日月の如く徳は四海に弥(わた)れり。然(しか)るに恐れをも懐(いだ)かずして仏敵と云うか是二。

況や此等の人々は各(おのおの)一宗を立て普(あまね)く群類(ぐんるい)を済(すく)う。故に天下の万民、諸天の帝釈(たいしゃく)を敬(うやま)い、衆星の日月に随(したが)うが如く、渇仰(かつごう)すること年旧(ふ)り、信(しん)敬(ぎょう)日に新(あらた)なり。若(も)し末師(まっし)の謬(あやま)りは、縦(たと)い之を破すと雖も、其の元祖に於ては最も恐慮(くりょ)すべき事ぞかし。然るに恐れをも懐(いだ)かずして仏敵と云うか是三。

況(いわん)や此等の人々は、智(ち)徳(とく)霊験(れいげん)の高徳、内証(ないしょう)不測(ふそく)の大聖なり。縦(たと)い心中に其の謬りを知ると雖も口外(こうがい)に之(これ)を出(いだ)さんことは恐るべきの甚(はなは)だしきなり。而(しか)るに恐れをも懐(いだ)かずして是れを仏敵と云(の)たもうは、応(まさ)に其の謂(いわれ)あるべし。委細(いさい)に之を聞かん是四。

一　答えて云く此(これ)大なる難なり等。

　　此の下は答、文亦(また)二と為(な)す。初めに問を歎(たん)じ、次に「愚(ぐ)眼(がん)」の下は正しく答う、亦二と為す。初めに略して呵責(かしゃく)謗法(ほうぼう)の所以(ゆえん)を示し、次に「むべなるかなや」の下は、広く値難(ちなん)を以(もっ)て法華の行者を顕(あらわ)す。初めの文に四段あり、即(すなわ)ち四問に答う。文に配して見るべし。

　　文に云う「法華経に勝(すぐ)れたる経ありといはん人」等とは、意に謂(いわ)く「已(い)今(こん)当(とう)」の文を破し「最(もっと)も其(そ)の上(かみ)に在り」の文に背(そむ)いて法華経に勝れたる経ありと云わん人は、八万・十二を胸に浮ぶる人と雖(いえど)も、謗法は免(まぬか)れずと見えたり。而(しか)も経文の如く申さば争(いか)でか仏敵たらざるべき是一。

　　若(も)し王公・大人(たいじん)の師範(しはん)なるが故に恐(おそ)れをなして仏敵なりと指(さ)さずんば、応(まさ)に一切(いっさい)経(きょう)の勝劣(しょうれつ)空(むな)しかるべし是二。

　　又宗々の元祖(がんそ)にして万民敬信(きょうしん)する故に此の人々を恐れて末師を仏敵と云わんとすれば末師には過(とが)なし、元祖に譲(ゆず)る故なり是三。

　　又日蓮、此の人々の謗法(ほうぼう)を知りながら、恐れを懐(いだ)いて之を申さずんば仏陀(ぶつだ)の諌(かん)暁(ぎょう)を用いぬ者となりぬ。いかんがせん。委細(いさい)に之を言わんとすれば「恐怖(くふ)悪(あく)世中(せちゅう)」の世間怖(おそろ)し。黙止(もだ)せんとすれば、仏の諌暁遁(のが)れ難し。進退惟(ここ)に谷(きわま)れり。

二辺の中には、言わざるべからずとの意なり。「進退惟(ここ)に谷(きわま)れり」とは、詩経十八の言を借用せり。


　つづく

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