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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 14日

報恩抄文段 上十


  第四段 在世及び
正法(しょうほう)時代の値難(ちなん)


一 問て云く
華厳(けごん)(ちょう)(かん)等乃至仏の敵との(たも)うか

 此の(しも)は次に広く諸宗の謗法(ほうぼう)呵責(かしゃく)するに、亦二と()す。初めに(とい)、次に答。

初めの問の(おこり)は、(すで)(これ)()の人々を指して「諸仏の(だい)怨敵(おんてき)」と云う。故に今驚きて問難(もんなん)するなり。(とい)の意に多くの意あり。今略して之を示す。

問の意に(いわ)く、(およ)そ「華厳の澄観」とは、(すなわ)清涼(しょうりょう)国師の御事なり。清涼山(しょうりょうざん)()する故に清涼国師と名づく。亦唐の徳宗(とくそう)皇帝(こうてい)()聖法(しょうほう)(もっ)(ちん)が心を清涼にす」と()たまうが故に清涼国師と(ごう)す。身の(たけ)九尺四寸、手を()るれば(ひざ)を過ぐ。目は夜も光を(はっ)し、昼は()(まじろ)がず。才は二筆を(そな)え、(しょう)(いん)(かね)の如し。十一にして出家し、法華経を(じゅ)す。(のち)(あまね)く諸宗を学ぶ。(みょう)(らく)大師に従い天台止観、法華の(しょ)等を習う。(しか)る後、五台山大華厳寺(だいけごんじ)()す。(まさ)に華厳の疏を(せん)せんとする時に、金人(こんじん)光明(こうみょう)()むと夢み、常に付嘱(ふぞく)せんことを思いたまうに、()る時、身()して大竜と()り、(また)化して一千の小竜と成り、分散して去ると夢む。(うま)れて(きゅう)(ちょう)()、七帝の国師と()る。春秋(しゅんじゅう)一百二歳にして()す。

三論さんろんじょう」とは即ち吉蔵きちぞう法師ほっしなり。後、祥寺じょうじに居す、故に嘉祥大師と云う。こうこうの入室なり。七歳にして出家し、世にがっかいしょうす。心に難伏なんぷくを包み、口に流るるが如きのべんそそぐ。随のようだいちょくして京師けいしにち厳寺ごんじに住せしむ。唐の高祖みことのりして延興寺えんこうじく。平時、妙経二千部を写造しゃぞうし、玄論げんろん義疏ぎしょを述ぶ。法華経を講ずること三百遍、大品だいぼん・華厳・大論だいろんおのおの数十遍、あまね章疏しょうしょあらわす。臨終りんじゅうの日、死不しふ怖論ふろんを製し、筆を投じて化す。

法相ほっそうおん」とは玄奘げんじょう三蔵さんぞう御弟子みでし、唐の太宗たいそう皇帝こうていの御師なり。梵漢ぼんかんそらに浮べ、一切経を胸にたたえ、仏舎利ぶっしゃりひつまつよりらし、きばより光を放つ。あしたに講じゆうべ述作じゅっさくすと云云。守護抄に「げんさん十巻をせんし、もっぱら法華経をさんす」とでたり。世人は日月にちがつの如く恭敬くぎょうし、後世こうせい眼目げんもくの如く渇仰かつごうす。智行ちぎょう兼備けんびの高徳なり。



つづく


報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-14 23:02 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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