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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 10日

法華経と爾前経の勝劣を二十の観点で簡潔に記された法門【法華経二十重勝諸教義】

【法華経二十重勝諸教義】
■出筆時期:建治三年(1277年) 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は富士郡西山(現富士宮市南西部)在住の強信徒、西山入道に宛てられた書で、恐らく西山入道の求めに応じて、法華経と爾前経の勝劣を二十の観点で簡潔に示された法門の書であろうと拝されます。信徒一人といえど、その教化のためには労を惜しまず一書をわざわざしたためられた大聖人の令法久住への思いに、弟子・信徒の一分として僅かでも答えるために、このブログを書き続けていきます。
尚西山入道(夫妻)へは『蒙古使御書』をはじめ、六通の御書が残されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[法華経二十重勝諸教義 本文]

南無妙法蓮華経
  
東春に云はく「問ふ、何が故ぞ経を謗じて無間に入るや。答ふ、一乗は是極楽の経なり。極妙の法を謗る故に極苦の処を感ずるなり。初めには極法及以(および)尊人を謗ずる故に賤獣の報を受く。
二には平等大慧の経を謗ずる故に愚獣の報を受く。三には仏に権実の二教有り、権に執して而も実を破る故に一目の報を得。四には法を謗り人を毀るの時、心に瞋恚を生ずる故に蛇身の報を受く。経に其の形長大とは大法を瞋る故に大苦の身報を受く。対(むか)って法を聞かざる故に聾病(ろうびょう)の報を受く。行法を受けざる故に無足の報を受く。愚癡にして経を謗ずる故に暗鈍の報を得。憍慢の心にして謗する故に矬陋(ざる)の報を得。微妙(みみょう)の法を謗ずる故に醜陋(しゅうる)の報を得。正直の経を謗ずる故に背傴の報を得。経に貧窮下賤為人所使とは、経に万徳を備ふるを福貴と為す。富貴の経を謗ずる故に貧賤の報を得。一乗に乗じて四方に遊び大自在を得。今自在の経を謗ずる故に不自在の報を得。故に人の為に使はるゝと云ふ。此の経は能く凡夫・二乗・菩薩の病を破る。下の経に若人有病病即消滅と云ふ。無病の経を謗ずる故に多病の報を得」と。

記の四に云はく「今義に依り文に附するに略して十双有り、以て異相を弁ず。一には二乗に近記を与ふ。二には如来の遠本を開く。三には随喜は第五十の人を歎ず。四には聞益は一生補処に至る。五には釈迦は三逆の調達を指して本師と為す。六には文殊は八歳の竜女を以て所化と為す。七には凡そ一句を聞くにも咸く授記を与ふ。八には経の名を守護するに功量るべからず。九には品を聞いて受持せば永く女質を辞る。十には若し聞いて読誦せば老いず死せず。十一には五種の法師は現に相似(そうじ)を獲。十二には四安楽行は夢に銅輪に入る。十三には若し悩乱する者は頭七分に破る。十四には供養すること有らん者は福十号に過ぎたり。十五には況んや已今当は一代に絶えたる所なり。十六には其の教法を歎ずるに十喩をもて称揚す。十七には地より涌出せるを阿逸多(あいった)一人をも識らず。十八には東方の蓮華をば竜尊王未だ相の本を知らず。十九には況んや迹化には三千の墨点を挙ぐ。二十には本成をば五百の微塵に喩へたり。本迹の事の希なる、諸教に説かず」云云。

一には二乗に近記を与ふとは、経に云はく「舎利弗、汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過ぎて若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し、菩薩所行の道を具足して当に作仏することを得べし。号を華光如来と曰ひ、国を離垢と名づけん」と。私に云はく、三周の声聞の授記に総別有り。経の第五に云はく「我先に総じて一切の声聞に皆已に授記すと説く」文。弘決の六に云はく「遍く法華已前の諸教を尋ぬるに実に二乗作仏の文無し」云云。

二に如来の遠本を開くとは、経に云はく「我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり。譬へば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使(たとい)人有って抹して微塵と為すが如し」と。

三に随喜は第五十の人を歎ずとは、経に云はく「是の第五十の人の法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳には如かじ。百分千分百千万億分にして其の一に及ばず。乃至算数譬喩も知ること能はざる所なり」委しくは経の如し。

四には聞益は一生補処に至るとは、経に云はく「復一四天下微塵数の菩薩摩訶薩有りて一生に当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」と。

五に釈迦は三逆の調達を指して本師と為すとは、経に云はく「爾の時の王とは則ち我が身是なり。時の仙人とは今の提婆達多是なり。提婆達多が善知識に由るが故に我をして六波羅蜜を具足せしめたり」と。

六に文殊は八歳の竜女を以て所化と為すとは、経に云はく「文殊師利の言はく、娑竭羅(しゃから)竜王の女(むすめ)有り。刹那(せつな)の頃に於て菩提心を発し不退転を得たり。慈悲仁譲・志意和雅にして能く菩提に至れり」と。

七に凡そ一句を聞くにも咸く授記を与ふとは、経に云はく「妙法華経の一偈一句を聞いて乃至一念も随喜せん者には、我皆授記を与へ、当に阿耨多羅三藐三菩提を得せしむべし。又如来の滅度の後に、若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨菩提の記を与へ授く」云云。

八に経の名を守護するに功量るべからずとは、陀羅尼品に云はく「汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せば福量るべからず」と。

九に品を聞いて受持せば永く女質を辞るとは、薬王品に云はく「若し女人有って是の薬王菩薩本事品を聞いて能く受持せん者は、是の女身を尽くして後に復受けじ」と。

十に若し聞いて読誦せば老いず死せずとは、七の巻に云はく「若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」と。

十一に五種の法師は現に相似を獲とは、経の六に云はく「若しは読み若しは誦し若しは解説し若しは書写せん。
是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て六根を荘厳して皆清浄ならしめん」云云。

十二に四安楽行は夢に銅輪に入るとは、経に云はく「又自身山林の中に在って善法を修習し、諸の実相を証し、深く禅定に入って十方の仏を見たてまつると見ん」と。又云はく「夢みらく、国王と作って宮殿眷属及び上妙の五欲を捨てゝ道場に行詣し、菩提樹の下に在って師子の座に処し、道を求むること七日を過ぎて諸仏の智を得ん」と。

十三に若し悩乱する者は頭七分に破るとは、陀羅尼品に云はく「若し我が呪に順ぜずして説法者を悩乱せば、頭破れて七分に作ること阿梨樹の枝の如くならん」と。

十四に供養すること有らん者は福十号に過ぐとは、経に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在り、無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」と。

十五に況んや已今当は一代に絶えたる所とは、経に云はく「已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」と。又云はく「薬王、今汝に告ぐ、我が所説の諸経あり、而も此の経の中に於て法華最第一なり」云云。

十六に其の教法を歎ずるに十喩をもて称揚すとは、薬王品に云はく「譬へば一切の川流江河の諸水の中に海為れ第一なるが如く一、衆山の中に須弥山為れ第一二、衆星の中に月天子三、日天子四、転輪聖王五、帝釈六、大梵天王七、一切凡夫の聖人・四果・支仏八、声聞・辟支仏の中に菩薩九、仏十」と。

十七に地より涌出せるを阿逸多(あいった)一人をも識らずとは、涌出品に云はく「四方の地震裂して皆中より涌出せり。世尊、我昔より来未だ曾て是の事を見ず。我此の衆の中に於て乃(いま)し一人をも識らず。忽然(こつねん)に地より出でたり。願はくは其の因縁を説きたまへ」と。

十八に東方の蓮華をば竜尊王未だ相の本を知らずとは、妙音品に云はく「妙音菩薩座を起たず、身動揺せずして三昧に入り、三昧力を以て八万四千の衆宝の蓮華を化作せり。爾の時に文殊師利法王子是の蓮華を見て仏に白して言さく、世尊、是何の因縁あって先づ此の瑞を現ぜる」と。

十九に況んや迹化には三千の墨点を挙ぐとは、化城喩品に云はく「譬へば三千大千世界の所有の地種を、仮使(たとい)人有って磨(す)って以て墨と為して、東方の千の国土を過ぎて乃ち一点を下さん、大いさ微塵の如し、又千の国土を過ぎて復一点を下さんが如し。彼の仏滅度してより已来復是の数に過ぐ」と。

二十に本成(ほんじょう)をば五百の微塵(みじん)に喩ふとは、経に云はく「我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり。譬へば五百千万億那由他阿曽祇の三千大千世界を尽く以て塵と為して一塵を一劫とせんが如し」云云。涅槃経に云はく「此の正法を除いて更に救護無し。是の故に応当(まさ)に正法に還帰すべし」と。釈に云はく「妙法の外更に余経無く、唯一乗の法のみ有って更に余乗無し」云云。釈に云はく「諸法実相を除いて余は皆魔事と名づく」と。
                              花押
 西山殿



by johsei1129 | 2015-12-10 19:21 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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