一 当抄の入文
将に此の抄を釈せんとするに、大に分ちて三と為す。初めに仏弟子は必ず応に恩を知り、恩を報ずべきの道理を明かし、次に「此の大恩」の下は報恩の要術を明かし、三に「されば花は根」の下は総結なり。蒙抄の大科は穏やかならざるなり。
問う、啓蒙の細科に云く「初めに総じて恩を報ずべき旨を明かす、亦二あり。初めに世間有為の報恩を明かし、二に『何に況や』の下は出世無為の報恩を明かす」等云云。此の義如何。
答う、当抄の大意は、出世無為の中に於て唯沙門の報恩に約して、無智の男女に約さず。沙門の報恩の中に於て、意は蓮祖自身の報恩に約すに在り。何ぞ「世間有為の報恩を明かす」と云うべけんや。
但し当文の意は畜を挙げて人を況し、世の賢人を挙げて以て仏弟子を況す。畜生すら此くの如し況や人倫をや。世の賢人すら是くの如し、何に況や仏弟子をや。仏弟子、若し此の大恩を報ぜずんば、応に彼々の賢人にも劣るべし。但彼々の賢人に劣るのみに非ず抑亦畜類にも劣るべし。故に仏弟子は必ず応に恩を知り、恩を報ずべしとなり。是れ即ち其の道理なり。
開目抄上十三に云く「聖賢の二類は孝の家よりいでたり何に況や仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」。
乃至三十六に云く「若しほうぜずば彼彼の賢人にも・をとりて不知恩の畜生なるべし乃至畜生すら猶恩をほうず」等云云。
つづく
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