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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 06日

佐渡流罪の赦免により鎌倉帰還のおり越後にて読んだ和歌を記した書【三沢御房御返 事】

【三沢御房御返事】
■出筆時期:文永十二年(1277)二月十一日  五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は駿河・三沢の領主、三沢小次郎に送られたとされております。
本抄は文永十一年三月二十六日、佐渡流罪の赦免により鎌倉に帰還して一年足らずに書かれたおり、佐渡の地で大聖人に帰依した信徒が多数、身延の草庵に見参し、大聖人の説法を聞かれていることを記されておられます。佐渡の信徒のことを何故三沢小次郎に伝えられたのかという点ですが、本抄を送られた三年後に三沢小次郎に送られた【三沢抄】に「只いつ(偽)わり、をろ(愚)かにてをはせかし、と申し候いきこそ候へけれ」記されており、三沢小次郎は大聖人に帰依していることを世間には隠されていたと思われ、同じ駿河に住みながらも大聖人の草庵への見参も途絶えていたのではと思われます。そこで遥々離れた佐渡の地から多数信徒が見参し大聖人の法門を聞いて、「未来までの仏種になる事、是れ皆釈尊の法恩ありがたし」と伝えることで、三沢小次郎に身延への見参を促したのではと推察されます。

またさらに大聖人が鎌倉に帰還するときに越後で詠じた和歌も添えられておられますが、この和歌の趣旨は、立正安国論を献上し鎌倉幕府を驚かし、予言した他国侵逼難と自界叛逆難が蒙古襲来・二月騒動で的中し、佐渡流罪が赦免となるばかりか、幕府に招かれて直接国家諌暁をできる状況になったことを、「おのづから、よこしまに降る雨あらじ」と詠じたのではと拝されます。
※三度目の国家諌暁の経緯については『小説日蓮(中)55最後の諌暁』を参照して下さい。
■ご真筆:池上本門寺に存在していたが、現存は所在不明となっております。

[三沢御房御返事 本文]

佐渡の国の行者、数多(あまた)此の所まで下向ゆへに、今の法門説き聞かせ候えば未来までの仏種になる事、是れ皆釈尊の法恩ありがたし。

越後にて此の歌詠じ候ゆへ書き送り候なり。
おのづから、よこしまに降る雨あらじ、風こそ夜の窓をうつらめ。
二月十一日





by johsei1129 | 2015-12-06 15:56 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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