一 当抄の題号
此の抄の題号は即ち二意を含む。所謂、通別なり。通は謂く、四恩報謝の報恩抄、別は謂く、師恩報謝の報恩抄なり。
初めの四恩報謝の報恩抄とは当に知るべし、此の抄の四恩は少しく常途に異なる。
謂く、一には父母の恩、二には師匠の恩、三には三宝の恩、四には国王の恩なり。
故に下巻二十二に云く「是れは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ」等云云。
問う、御抄第四十、四恩抄に具に四恩を明かす。謂く、一には父母の恩、二には衆生の恩、三には国主の恩、四には三宝の恩なり。何を以て故に今師匠の恩を出して、衆生の恩を没するや。
答う、師恩報謝の為に別して当抄を述する故に、梵網経の意に依り師恩を開出するなり。故に梵網経に云く「孝は父母・師僧・三宝に順うなり」等云云。
与咸の註に云く「所孝の境に三有り。一には父母生育の恩、二には師僧訓導の恩、三には三宝救護の恩」等云云。既に師匠の恩を開出する故に、衆生の恩を合して父母の恩の中に在き、以て四恩と為すなり。心地観経に云く「故に六道の衆生は皆是れ我が父母なり」等云云。
法蓮抄十五・十四に云く「然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり。此の父母に孝養を果さずんば仏と成らず」等云云。
即ち此の文意なり。
次に別は謂く、師恩報謝の報恩抄とは、総結の文に云く「されば花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし」と云云。 学者、当に知るべし、今所述所行の辺に約すれば、即ち通別の両意有り。