報恩抄文段上本
享保七年壬寅二月二十四日 日寛之を記す
序
一 当抄の大意
凡そ此の抄は吾が祖五十五歳、建治二年丙子六月、道善房逝去の由を伝聞したまい、報恩謝徳の為に之を述べ、同じき七月下旬、身延山より清澄の浄顕房・義浄房両人の許へ送りたまう御抄なり。
録外の第三・十二の報恩抄送文に云く「道善御房の御死去の由・去る月粗承わり候乃至此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ」等云云。
「大事の大事」とは、凡そ五大部の中に、安国論は佐渡已前にて専ら法然の謗法を破す。故に唯是れ権実相対にして未だ本迹の名言を出さず。況や三大秘法の名言を出さんや。
開目抄の中には広く五段の教相を明かし、専ら本迹を判ずと雖も但「本門寿量の文底秘沈」と云って、尚未だ三大秘法の名言を明かさず。
撰時抄の中には「天台未弘の大法経文の面に顕然なり」と判ずと雖も、而も浄・禅・真の三宗を破して、未だ三大秘法の名義を明かさず。
然るに今当抄の中に於て、通じて諸宗の謗法を折伏し、別して真言の誑惑を責破し、正しく本門の三大秘法を顕す。是れ則ち大事の中の大事なり。故に「大事の大事」と云うなり。吾が祖は是れを以て即ち師恩報謝に擬したもうなり。当抄下巻二十二及び本尊問答抄、録外の十四善無畏抄等、往いて見よ。道善房の事明らかなり。
つづく
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