日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 11月 30日

願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ、と弟子・信徒を諭した【閻浮提中御書】

■出筆時期:弘安元年(1270年) 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は末尾に「しかるに・たまたまの御とぶらい、ただ事にはあらず」と記されておられるように、身延山中の大聖人の草庵を訪れた某信徒への返書であろうと思われます。

文中では、「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ」と厳しい指導をなされるととに「此の三師を用ゆる国主終に法皇尽了んぬ、明雲座主の義仲に殺されし、承久に御室思い死にせし是なり」と断じ、弘法・叡山座主慈覚、智証の三師を重用した国主・法皇が滅び、真言亡国の現証を顕わしていることを示し、「我が朝の亡国となるべき事先に此れをかんがへて宛も符契のごとし。此れ皆法華経の御力なり」と断じられておられます。

■ご真筆:富士大石寺(一般非公開)。

[閻浮提中御書 本文]

閻浮提中飢餓[勃起]」(又云)「[叉]示現閻浮提中刀[兵勃起]」と。叉曰く「叉示現閻浮提中疫病勃起」等云々。
人王三十代[百済]国の聖明王[仏像経日本]国にわたす。王此れを用いずして三代仏罰にあたるべし。

釈迦仏を申し隠すとが□□念仏者等・善光寺の阿弥陀仏云云、上一人より下万民にいたるまで皆人□□□□此れをあらわす、日蓮にあだをなす人は惣て日蓮を犯す、天は惣て此国を□□□□□□、二に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん」等云云。

又云く「多病しょう痩」第八に云く「諸悪重病」又第二に云く「若し医道を修し方に順て病を治せば更に他の疾を増し或は復死を致す」、又云く「若し自ら病有らんに人の救療すること無く設い良薬を服すとも而も復増劇せん」等云云。

弘法大師後に望んで戯論と作す、東寺の一門上御室より下一切の東寺の門家は法華経を戯論と云云、叡山の座主並びに三千の大衆(又)日本国・山寺一同の云く□□□□□大日経等云云、智証大師の云く法華尚及ばず等云云、園城の長吏並びに一国の末流等の云く法華経は真言経に及ばずと云云、此の三師を用ゆる国主終に法皇尽了んぬ、明雲座主の義仲に殺されし、承久に御室思い死にせし是なり。

願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ。

師子は値いがたかるべし、国主の責め・なををそろし・いわうや閻魔のせめをや、日本国のせめは水のごとし・ぬるるを・をそるる事なかれ、閻魔のせめは火のごとし・裸にして入るとをもへ。

大涅槃経の文の心は仏法を信じて今度生死をはなるる人のすこし心のゆるなるをすすめむがために疫病を仏のあたへ給うはげます心なり、すすむる心なり。

日蓮は凡夫なり天眼なければ一紙をもみとを(見通)すことなし、宿命なければ三世を知ることなし、而れども此の経文のごとく日蓮は肉眼なれども天眼宿命□□□日本国七百余歳の仏眼の流布せしやう、八宗・十宗の邪正漢土月氏の論師人師の勝劣・八万十二の仏経の旨趣をあらあらすいち(推知)し[給う]、我が朝の亡国となるべき事先に此れをかんがへて宛も符契のごとし。此れ皆法華経の御力なり、而るを国主は讒臣等が凶言を・をさめて・あだをなせしかば、凡夫なれば道理なりと・をもつて退する心なかりしかども・度度あだをな[せり]。

美食ををさめぬ人なれば力をよばず・山林にまじわり候いぬ。されども凡夫なればかん(寒)も忍びがたく・熱をもふせぎがたし、食ともし表○目が万里の一食・忍びがたく、思子孔が十旬・九飯堪ゆべきにあらず、読経の音も絶えぬべし・観心の心をろそ(疎)かなり。
しかるに・たまたまの御とぶらい、ただ事にはあらず。教主釈尊の御すすめか・将又過去宿習の御催か、方方紙上に尽し難し、恐恐謹言。

※□は判読不明箇所、[]の文は真筆の判読不明箇所を推察したものです。




by johsei1129 | 2015-11-30 20:05 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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