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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 19日

法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く、一切法華経に其の身を 任せて金言の如く修行せば<中略>勝妙の大果報を得、広宣流布の大願 をも成就すべきなり、と説いた【最蓮房御返事(祈祷経送状)】

【最蓮房御返事(祈祷経送状)】
■出筆時期:文永十年(1272年)一月二十八日 五十二歳御作
■出筆場所:佐渡国一ノ谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本抄は文中で「一、仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返欠如無く読誦せらるべく候」と記されておられるように、病弱であった最蓮房が「息災延命」の祈禱法を大聖人に請われ、それに対し大聖人はわざわざ法華経の要文を一巻に認められて最蓮房に送られておられ、本抄はその添え状として書かれたものです。

大聖人は最蓮房の三つの問いに対し一つ一つ丁寧に返答されておられ、共に遠島流罪という難に遭われ、佐渡の地で大聖人に帰依し弟子となった最蓮房を気遣う大聖人の弟子を思う深い慈愛に満ちた書となっておられます。
さらに文末では「猶々向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。但し此の書は弘通(ぐつう)の志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候か」と記され、病気を克服してその後は一層法華経弘通に励むよう諭されておられます。

■ご真筆:現存しておりません。
[最蓮房御返事(祈祷経送状) 本文]

 御札の旨委細承り候ひ畢(おわ)んぬ。兼(かね)ては又末法に入りて法華経を持ち候者は、三類の強敵を蒙(こうむ)り候はん事は・面拝の時大概申し候ひ畢んぬ。仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か。然らば則ち日蓮も此の法華経を信じ奉り候ひて後は・或は頭に疵(きず)を蒙り・或は打たれ・或は追はれ・或は頚の座に臨み・或は流罪せられ候ひし程に・結句は此の島まで遠流せられ候ひぬ。

 何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ。日蓮は三世の大難に値(あ)ひ候ひぬと存じ候。其の故は現在の大難は今の如し。過去の難は当世の諸人等が申す如くば、如来在世の善星・倶伽利等の大悪人が・重罪の余習を失せずして如来の滅後に生まれて是くの如く仏法に敵をなすと申し候是なり。

 次に未来の難を申し候はゞ、当世の諸人の部類等謗じ候はん様は、此の日蓮房は存生の時は種々の大難にあひ、死門に趣(おもむ)くの時は自身を自ら食して死ぬる上は、定めて大阿鼻地獄に堕在して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずるなり。古より已来(このかた)世間・出世の罪科の人、貴賤・上下・持戒毀戒・凡聖に付けて多く候へども、但其れは現在計りにてこそ候に、日蓮は現在は申すに及ばず、過去未来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は・只偏に法華経の故にて候なり。日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚(おぼ)し食され候へ。過去久遠劫より已来(このかた)未来永劫まで妙法蓮華経の三世の御利益尽くべからず候なり。日蓮が法華経の方人(かたうど)を少分仕り候だにも・加様(かよう)の大難に遇ひ候。まして釈尊の世々番々の法華経の御方人を思ひ遣(や)りまいらせ候に、道理申す計りなくこそ候へ。されば勧持品の説相は暫時(ざんじ)も廃せず、殊更(ことさら)殊更・貴く覚え候。

 一、御山籠(おんやまごも)りの御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も・病者にて御座候上(うえ)、天下の災(さい)・国土の難強盛に候はん時、我が身につみ知り候はざらんより外は・いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば、日蓮尚篭居(ろうきょ)の志候。まして御分の御事はさこそ候はんずらめ。仮使(たとい)山谷に篭居候とも、御病も平癒して便宜(びんぎ)も吉く候はゞ、身命を捨て弘通せしめ給ふべし。 

 一、仰(おお)せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返欠如(けつじょ)無く読誦せらるべく候。日蓮も信じ始め候ひし日より、毎日此等の勘文を誦し候ひて仏天に祈誓し候によりて・種々の大難に遇ふと雖も、法華経の功力・釈尊の金言深重なる故に今まで相違無く候なり。其れに付けても法華経の行者は信心に退転無く・身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず・今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。

 一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は、何なる持戒の行人と申し候とも・法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に堕す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。但今の御身は念仏等の権教を捨て正法に帰し給ふ故に、誠に持戒の中の清浄の聖人なり。尤(もっと)も比丘と成りては権宗の人すら尚然るべし、況んや正法の行人をや。仮使(たとえ)権宗の時の妻子なりとも、かゝる大難に遇(あ)はん時は振り捨てゝ正法を弘通すべきの処に、地体よりの聖人尤も吉し・尤も吉し。相構へ相構へ・向後(こうご)も夫妻等の寄り来(くる)とも遠離して一身に障礙無く、国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資(たす)け奉るべき者なり。

 猶々向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。但し此の書は弘通の志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く・之を授与すべからず候か。穴賢(あなかしこ)穴賢。恐々謹言。

 文永十年癸酉正月二十八日     日蓮 花押

 最蓮房御返事


by johsei1129 | 2019-10-19 12:13 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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