人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 11月 29日

撰時抄愚記 下二十


 二には、佐渡抄十四・十に云く「法華経の行者を
梵釈(ぼんしゃく)・左右に(はんべ)日月(にちがつ)・前後を(てら)し給ふ、かかる日蓮を用いぬるとも()しく()やまはば国亡ぶべし、(いか)(いわん)や数百人ににくませ二度まで流しぬ、此の国の亡びん事疑いなかるべけれども(しばら)(いましめ)をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・()うに()ぐれば罰あたりぬるなり」文。

  文の表は近報を語ると(いえど)も、文の意は(また)遠報にも通ずるなり。(いわ)く、(すで)に数百人に(にく)ませ二度まで流しぬるは鎌倉殿の大科なり。此の大科、(ほう)に過ぐるが故に、近くは文永十一年二月中旬、京・鎌倉に於て同士(うち)して多く一族を誅し(おわ)んぬ。遠くは蓮祖の滅後五十二年に当って子孫跡形(あとかた)無く滅亡し畢んぬ。

太平記第十終に云く「嗚呼(ああ)、此の日は(いか)なる日ぞや。元弘三年五月二十二日と申すに、平家九代の繁昌(はんじょう)一時に滅亡して、源氏多年の(ちっ)(かい)一朝に()くる事を得たり」等云云。

  当に知るべし、法華守護の八幡大菩薩は(いきおい)刹那(せつな)(もよお)し、天照大神の垂迹(すいじゃく)(うしお)を万里に退けて、源氏の(いただき)に乗り移って平家の(やから)を責め(ほろぼ)せしなり。(けん)仁寺(にんじ)(てん)()の詩に云く

短世(たれ)()亀谷(きこく)の水

()(れい)久しく保つ鶴岡(つるがおか)の松

(かつ)て日蓮師の(いさ)めに(たが)うに()って

永々の英将(あと)()がず    等云云。

安国論の性師(じょ)に云く、

先代の英将諫言(かんげん)()れずして万世(たも)たず

(あわれ)むべし焦土(しょうど)となりぬること

惜しいかな亀谷の水は(あざけり)を献じ

鶴岡の松は笑いを()ぐ    等云云。

聖人御難抄二十三・三十一に法華経の行者(ぎょうじゃ)三十九・二十六に極楽寺の事。

  三には、乙御前抄十四・二十一に云く「日蓮が(こうべ)には大覚世尊かはらせ給いぬ」又云く「事の後に()へばこそ人も信ずれ、()うただ・()()きなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、又身軽(しんきょう)(ほう)(じゅう)死身(ししん)弘法(ぐほう)とのべて候へば身は軽ければ人は打ちはり(にく)むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死か()(かえ)って重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生(りしょう)あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と・い()()るるやうに・いはうべし」等云云。

本門の大法年々に弘まり、蓮祖の威光(いこう)月々に倍増し、御影(みえい)の利生日々に(あらた)なり。故に(これ)を祝い祭ること(ほとん)ど鶴岡に過ぎたり。既に是れ眼前なり。(あに)兼知(たが)わざるに非ずや。

故に知んぬ、()が蓮祖は是れ(まこと)に大聖人にして、末法下種の教主なること其の意分明(ふんみょう)なり云云。


                   つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-11-29 21:11 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/24720350
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< GOSHO 立正安国論36  ...      撰時抄愚記 下一九 日蓮大聖人... >>